ラグビーリパブリック

『ラグビー愛』の伝道者たち。  小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

2012.07.05

「過去を尊ばないものに未来は無い。この言葉は、日本そのものを表しているといってよいでしょう。日本は伝統を重んじ、過去を大事にしつつ、新しいものを取り入れることにも優れている。このチーム(フレンチ・バーバリアンズ)が日本で得るものは大きい」
 来日して、このように話していたジャン=ピエール・リーヴは、アマチュア時代のラグビーが持っていた良き伝統と、ラグビーへの深い愛情を抱えきれぬ程携えて来日したのだった。


 


 来日中の一夕、フランス大使公邸で開かれたレセプションには、前回バーバリアンズと戦った1985年の日本代表のフランス遠征メンバーが招待されており、会の冒頭で、クリスチャン・マセ駐日フランス大使直々に、日仏の出席メンバーの氏名が読み上げられた。


 


「ムッシュ石山次郎、ムッシュ大八木淳史、ムッシュ相沢雅晴、ムッシュ本城和彦、ムッシュ吉野俊郎。ムッシュ・マルセル・マルタン(バーバリアンズ創設メンバーのひとり)、ムッシュ・ジャン=ピエール・リーヴ、ムッシュ・ドゥニ・シャルヴェ、ムッシュ・ジャン=ピエール・ガリュエ……」
 かくして、壇上に招かれた日仏ラグビーマンたちの、27年ぶりの邂逅に乾杯するという粋な演出がなされたのだった。


 


 新日鐵釜石/ジャパンを支えた背番号1、石山次郎さんはレセプションの会場に、当時交換したフランス代表のジャージーや、試合プログラム、現地の新聞などを持参して訪れた。遠征初戦でトイ面として対戦したガリュエについて、「初めて経験する組み方をされて……3番なのにはじめに内側に押し込んで来て……考えられない組み方なので、対応できなかったなあ」と懐かしんでいた。


 


 芦屋大学特任教授に就任した大八木淳史さん、人生のスクラムをバリバリ押し続けている。ロマンスグレイの多少混じる髪に、壮年の色気が滲んでいた。


 


 昨季で成城大学の監督を勇退した松尾雄治さんは、開口一番、「日本のラグビーはね、一人一人がボールを長く持っちゃいけないの。パッパッパって、パスを回すのが日本のラグビーなんですよ」。そして、「(今のラグビーは)レフリーが見てなきゃ何でもやるみたいな時代になってるでしょ、あらためて思ったのは、ルールを守ることを厳しく指導した(明治の)北島監督の偉大さだね」。ここにも、ラグビーの良き伝統の伝道者にして、ラグビーに深い愛を注ぐラグビーマンがいた。


 


 ジャパンのヘッドコーチであるエディー・ジョーンズさんは一人で会場を訪れ、レセプションの終了時刻まで居残り、気さくに会話に花を咲かせていた。ジャパンの6月の最終戦の2日前だったが、やるべきことはすべてやってあるという自信のようなものが感じられた。人が減っても居続け、オープンに他人の意見を聴いてくれる、こんなヘッドコーチに初めて出会った。最終戦にもジャパンは敗れてしまうことになるのだが、エディーさんの、やるべきことは分かっているという思い、ブレの無い方針を、私は支援したい。


 


 最後に、JーP・リーヴについて。フランス主将のリーヴとオールブラックス主将のグレアム・モーリーは、70年代から80年代はじめに、世界最高のオープサイドFLとして、互いを尊敬し合った。その2人がテストマッチで対戦したのは1979年のフランスのNZ遠征の2試合のみ。クライストチャーチではオールブラックスが23ー9で先勝し、イーデンパークでフランスが24−19と雪辱した。
 また、シックスネーションズのフランス対イタリア戦の勝者に贈られる『ジュゼッペ・ガルヴァルディ・トロフィー』は、リーヴ自身が制作したもの。



(文・小林深緑郎)


 


 


【筆者プロフィール】


小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)


ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。


 


 



エディー・ジョーンズ日本代表HC(左)とジャン=ピエール・リーヴ氏
(撮影:BBM)

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