ナイサン・シャープ
(写真:Yasu Takahashi, Nichigo Press)
1996年からのスーパーラグビー史で前人未到の160試合出場を達成した、ラインアウトの巨匠。その男が、今年限りで南半球最高峰舞台から降りる。現役引退は、代表戦後の10月まで伸びるかもしれない。でも、スーパーラグビーでナイサン・シャープを見られるのはあとわずかだ。
1998年、レッズでスーパー12デビューを果たし、伝説の男ジョン・イールズのそばで多くを学んだ。そこで8年間を過ごし、2006年に新規参入したばかりのウェスタン・フォースへ移籍。現在まで西オーストラリア州のパースに腰を落ち着けて、若いチームに己の経験と情熱を注いできた。2月、今年のスーパーラグビー終了後に引退すると発表し、初のプレーオフ進出を目指して力を振り絞った。目標達成はならなかったが、グラウンドに立ち続けている。
オーストラリア代表(ワラビーズ)のLOとして歴代最多の105キャップを持つシャープだが、12年前に違う道を選択していたら、別のレジェンドストーリーがあったかもしれない。
2000年、国際舞台を夢みていた若かりし頃のシャープに、当時ウエールズ代表のヘッドコーチ(HC)を務めていたグレアム・ヘンリー氏(2011年W杯オールブラックスHC)から電話が掛かってきた。ウエールズ生まれの祖父を持つシャープに、ウエールズ代表になる気はないかと。だが、自分が生まれ育った国オーストラリアで代表になりたいと思っていた若者はその誘いを断り、それから2年後にワラビーズの一員となった。
2002年6月のフランス戦で代表デビューを果たし、ワールドカップは3大会に出場。そして2011年大会の3位決定戦、10月21日のウエールズ戦で100キャップの大台に到達し、ジョージ・グレーガン(139キャップ)、ジョージ・スミス(110)、スティーブン・ラーカム(102)、デイヴィッド・キャンピージ(101)らとともに、オーストラリアのラグビー史に燦然と輝く伝説の男となった。ワールドラグビー史上21人目、LOとしては史上3人目の快挙。
誰もが尊敬するリーダーであり、フォースが産声を上げてから5年間キャプテンを務めた。今年は10歳年下のデイヴィッド・ポーコックにバトンを渡したものの、シーズン前半にリチャード・グレアムHCが解雇となり、例年以上にチームのまとめ役に腐心した。実はオーストラリア代表でも、2004年7月のオールブラックス戦と翌年のサモア戦で、故障で欠場したグレーガンの代わりにキャプテンを務めている。
2007年には国内の年間最優秀選手に贈られる「ジョン・イールズ・メダル」を受賞。チームメイトからの信頼も厚く、2011年末は、オーストラリアの全プロ選手たちによって選ばれる栄誉ある賞「メダル・フォー・エクセレンス」に輝いた。グラウンド内外両方の活躍が評価されるこの賞を、シャープは2002年と2005年にも受賞しており、英雄グレーガンと並ぶ最多3度の選出となった。
オーストラリアが誇るラインアウト指揮者だ。十分すぎるほどの功績を残した。2月の引退発表会見で、ラグビーブーツを脱いだあとは、資源産業関連の仕事に就く計画を明かした。2012年6月30日がホームでの最終ゲーム。そして、7月14日のクルセーダーズ戦で引退すると決めていた。
しかし、ロビー・ディーンズ代表HCは34歳のベテランをまだ必要としている。代表主将のLOジェームズ・ホーウィルが右太もも裏を故障し長期離脱となったため、シャープを6月のテストマッチに呼んだ。そして、彼の最高パフォーマンスを見たディーンズHCは、8月18日から10月6日まで開催される南半球4カ国対抗戦(ザ・ラグビーチャンピオンシップ)への参戦も熱望し、口説き落としたのだ。
ナイサン・シャープは、ワラビーズのジャージー姿でグラウンドに別れを告げるだろう。でもその前に、スーパーラグビーに最も長く君臨した男がその舞台から降りるとき、心からの拍手を送りたい。
ポジション: LO
生年月日: 1978年2月26日(34歳)
出身地: ニューサウスウェールズ州(オーストラリア)
身長: 200? 体重:115kg
所属: ウェスタン・フォース
【国代表】
デビュー: 2002年6月22日(対フランス)
CAP: 105
得点: 35 (TRY: 7)
※ 記事内のデータは、2012年6月29日現在