ラグビーワールドカップの舞台で初めてロシア国歌が流れた。楕円球の世界に住むNZ・ニュープリマスの市民にしてみれば耳慣れない歌かもしれないが、感情が高ぶった大男たちの絶叫は観客の胸に響いたらしく、ルーキーたちを盛大な拍手で盛り立てた。冷たい雨が強風で舞ったスタジアム・タラナキ。空席が残り、観客数は14,000人にも満たなかったが、開幕戦で6万人を集めたイーデンパークにも負けない熱気が確かにあった。2011年9月15日の出来事。
ロシア対アメリカ。冷戦は終わったものの、少なからず緊張感は保たれ続ける超大国同士の激突に、新聞・雑誌では『スーパーパワー、開戦』の見出しが躍った。試合前、「USA! USA!」の大合唱。「ローシーア、ローシーア」とあちこちで応酬する。
「我々はこの一戦にかけて準備をしてきた。初めてのワールドカップで、相手はアメリカ。周囲は冷戦時代のこともあって政治的な面からもこの対決に注目していたのはわかっていたし、初舞台は異様な雰囲気だった」
(ロシア代表/コルシュナフ主将)
試合開始。時計はまだ30秒もたたないうちに、相手22メートル内でロシアはキックをチャージし、いきなり絶好のチャンスが訪れた。ゴール前5メートルまで迫り、トライこそ奪えなかったが、ペナルティゴール(PG)で先制点を奪う。SOユーリー・クシュナレフの名は、ラグビーワールドカップで初めて得点したロシア代表選手として歴史に刻まれた。
アメリカは、ロシアが自分たちを最大のターゲットとして死に物狂いで挑んでくるのはわかっていた。世界ランキング18位のアメリカと19位のロシア(当時)。6月のチャーチルカップで対戦したときはアメリカが競り勝ったものの、セットプレーに課題を残していた。この日、アメリカの弱点とされていたスクラム戦はほぼ互角。過去の対戦試合を分析してラインアウト練習に時間を割いた結果、リーダーの読みもギャンブルも成功して、何度も敵のチャンスをつぶした。この試合、ロシアのマイボールラインアウトは6勝6敗。流れはアメリカに傾く。
アメリカはPGですぐさま同点に追いつくと、19分にはスニウラ兄弟のハードランをSHペトリがトライに結びつけ、逆転に成功する。
10-3とアメリカがリードして後半開始。氷雨は大粒となり、風も強さを増していた。ボールコントロールに苦労した両チーム。PGが届かない。ドロップゴールも的を外れた。なんとかキックで3点ずつ取り合ったが、ともに「トライは許すまいとディフェンスに集中した」から、精一杯のラスト40分間だった。
試合終了1分前、ロシアは相手22メートルラインまで迫ったが、司令塔は辛抱しきれず、一か八かのハイパントを試みてチャンスをつぶした。ルーキーの若さか。強風を計算に入れた大胆なギャンブルだったとしても、焦りの一手は敵に見透かされ、空中の競り合いにすらならず。その後ワンプレーが残っていたが、アメリカの壁は崩れず、ロシアのノッコンでゲームオーバー。
アメリカはワールドカップにおいて、日本戦以外ではじめて他国から勝利を奪った。
「どこが相手であろうと、ワールドカップの勝利は嬉しいよ。我々は偉業を遂げたんだ。これからもこのパフォーマンスを継続していきたいね。ロシアは本当にタフなチームだ。対戦するごとにどんどん力が伸びている気がするよ」
(アメリカ代表/クレバー主将)
敗戦から一夜明け、寝つけなかったというロシア代表CTBラチコフはメディアのインタビューに応じた。「アメリカ戦の映像はすでに3回見たが、負けた試合を見るのは辛いものだ。アドレナリンはまだ出ているし、感情は高ぶったままだよ」
たぶん、ほかの選手やスタッフも同じだ。歴史的デビューを終えたあとだというのに、記者会見でのロシア代表監督とキャプテンの仏頂面が印象に残る。
「ワールドカップでの初めての試合ということで、我々にとっては今までのどんな試合よりも重要な意味を持っていた。自分たちができることをすべて出し切りたかったし、勝ちたかった。アメリカは我々にとって非常に手強い相手であり、結果は悔しい。だが、自分たちに失望などしていない」
(ロシア代表/ネルシュ監督)
ロシアはゆっくりと歴史を動かした。今回の20カ国に加え、1987・1991年のジンバブエ、1995年のコートジボワール、1999年のスペイン、1999・2003年のウルグアイ、2007年のポルトガルと、世界中でラグビーワールドカップに出場したのは25カ国になった。4年後、8年後、また新しい国歌が聞けるだろうか。ロシアとアメリカのラグビー界はどうなっているのだろう。政治的には超大国かもしれないが、ラグビーではまだまだ発展途上国だ。今回のワールドカップのパフォーマンスで、ラグビーに興味を持つ国民が増えてほしい。それが両チームに共通した願いだ。2013年にはロシアでセブンズのワールドカップが開催される。
熱がほしい。
もちろん、日本も。2019年に向けてカウントダウンが始まっている。
数日後、夜食を食べに入ったウェリントンのケバブ屋で、トルコ人の兄ちゃんが言った。
「日本は初めてのワールドカップかい?」「1987年の第1回からずっと出てるよ」
「大したもんだ。オレはあんまりラグビーはわからないけど、オールブラックス戦はよくやったよ」「ちょっと記憶にございません」
「悔しいのかい?」「当たり前やろうもん!」
「4年後にオールブラックスと対戦したら勝てる?」「…かかってこんかい」
「いいねぇ、その意気だよ」
ワールドカップに出場する選手や監督・スタッフ、みんな立派だ。ファンも拍手を送る。
初出場だろうが強敵相手だろうが、負けてヘラヘラしない。もっと上を目指すんだから。
いつかギャフンと。
ロシアの仏頂面、迫力ある勝負師の顔でした。
スポーツライター
竹中 清
(写真:試合後のロシア代表コルシュナフ主将(左)とネルシュ監督)