グラウンド上では荒くれ者だが、ジャージーを脱げば敵味方関係なく交流を大切にするブロンド髪の好漢。ラグビーファミリーに育った男は古きよきラグビー文化を大切にしており、アフター・マッチ・ファンクションをこよなく愛する。彼に関わったほとんどのコーチがいうには、バーガーほど仲間や相手選手から尊敬を集める人物はそうはいない。
しかし、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズのファンは「奴は暴漢だ」と反論するだろう。2009年6月27日、スプリングボクス(南アフリカ代表)対ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズの第2戦、開始20秒でバーガーは相手WTBルーク・フィッツジェラルドと接触し、故意に目を突いたとして8週間の出場停止処分を下される。バーガーはアクシデントだと主張したが、ライオンズ側は蛮行だと猛抗議。南アフリカ協会が詫びを入れる騒動にまで発展した。
ナイスガイの真相は闇だが、彼が超一流のプレーヤーであるのは誰もが認めるところ。
2003年6月、U21世界選手権大会に南ア代表主将として出場。7月にはカリーカップ(ブルーブルズ戦)でプロデビューを果たす。その3か月後には、スプリングボクスとしてワールドカップの舞台に立っていた。当時、弱冠20歳。2004年はIRB最優秀選手賞、南ア年間最優秀選手賞など、あらゆるタイトルを総なめにしたボクスの至宝である。
U21代表時代からバーガーと師弟関係にある2007年ワールドカップ優勝監督のジェイク・ホワイトは、南アのラグビー専門誌で断言した。「間違いなく、彼は私がコーチをしてきたなかで最高の選手だ」。
無尽蔵のスタミナを持ち、激しく、運動量豊富。驚異の粘り腰でブレイクダウンでは鬼と化す。世界レベルのFLが1試合平均14回のタックルを放つのに対し、バーガーの平均は21回といわれる。オープンプレーも魅力で、ディフェンダーを引きつけての彼のオフロードの巧さは攻撃に勢いをつける。フランカーとしてテストマッチ11トライは、ジュアン・スミスと並びスプリングボクス史上最多。
オープンサイドフランカーのスペシャリストという自負があり、南アの場合、背番号「6」への思いは強い。彼を語る上で、ルーク・ワトソンという“因縁のライバル”の名が必ず挙がるが、2人の間に確執は存在しない。あったのは、「6番」をめぐる強烈なライバル心と切磋琢磨であり、互いの背景にある人間関係をメディアは対立ドラマとしてあおった。そのドラマでは、バーガーの師匠であるジェイク・ホワイトと、ワトソンの父チーキー・ワトソンが主役であるから、その話はまた別の機会に。
今シーズン初戦、スーパーラグビーのライオンズ戦でバーガーは膝を痛め、次節から4試合を欠場したが、4月2日のシャークス戦で復帰。主将としてチームをまとめ上げ、ライバルとの大一番を制した。悲願の優勝へ向け着実に前進中。
豪華メンバーを揃えながらストーマーズがいままで栄冠を勝ち取れなかったのは、どこか漂うドライな雰囲気も原因のひとつだったと推測される。前主将がヨーロッパに移籍し、2010年にバーガーがリーダーに就任すると、明らかにチームのムードは一変したと多くの主力選手が口にした。彼の不屈の闘争心と情熱あふれる姿はチームを盛り立てる。団結して戦う雰囲気をつくりだしたからこそ昨年のスーパーラグビー決勝進出があった。
闘魂のエピソードを挙げればきりがない。2005年にダニーデンで行われたオールブラックス戦、彼は口を25針縫うほどの大怪我をしながら、流れ出る血をたった5分間の応急処置で済ませ、グラウンドに戻り最後まで戦った。昨年のカリーカップ決勝も、実は肋骨を骨折しながらプレーし続けていたのだ。そして最も忘れられないのは、2006年6月17日のスコットランド戦で選手生命にかかわる首の大怪我を負いながら、翌年のスーパー14で見事カムバックした奇跡である。
ハードマンが怪我から解放されることはない。ハインリッヒ・ブルソーら若手の台頭で、ベンチを温める時間が増えたのも事実である。だが、ワールドカップ連覇を狙うスプリングボクスの一員となることは、代表監督が血迷わないかぎり確実だ。
2011年、荒々しいブロンド髪の6番にぜひ注目してほしい。好きか嫌いかは、見る者の自由である。
ポジション: FL
生年月日: 1983年4月13日
出身地: ポートエリザベス(南アフリカ)
身長: 193cm 体重: 110kg
所属チーム: ウェスタン・プロヴィンス(ストーマーズ)
【国代表】
デビュー: 2003年10月24日 対グルジア
CAP: 63
得点: 65(トライ:13)
※ 記事内のデータは2011年4月8日現在