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慶大主務・田中陽太郎が覚悟を決めた日。スタッフから目指す大学日本一。

「勝ったチーム」の主務になる。(撮影/多羅正崇)



 長い1か月だった。

 慶應義塾大学の主務である田中陽太郎(4年)は、その1か月を「長かったです」と振り返った。

 その話し合いが始まったのは、田中が大学2年の夏だった。

「(慶大では)各代から一人ずつマネージャーを出すのが文化、といいますか。普通のミーティングとは違って、誰かの選手生命がなくなるというのは大変なことなので、毎回シリアスな雰囲気になります」(田中主務)

 慶大では慣例として、各代から男子マネージャーを1名、毎年チームに送り出している。田中の代は、大学2年の夏にその時期を迎えたのだった。

 同期部員で話し合い、同期1名をマネージャーにする――。
 それはすなわち、同期部員の手によって、同期ひとりの選手としての道をなかば断つ、ということでもあった。
 マネージャーとしてピッチ内外で活動すれば、公式戦出場はままならない。チームの窓口である主務ともなればさらに多忙だ。

 代によっては短期間で決まることもあるという。しかし田中の代は長かった。大学2年の夏に始まり、夏合宿をまたいで9月まで。長い長い1か月だった。

「(学生寮の)ミーティングルームで何日も話し合いました。長かったです。練習後の2時間だったり、練習の合間だったり。オフ日にもやりました」

 神奈川県横浜市に生まれ育った田中は、YC&ACスクールで楕円球に出会い、慶應義塾中等部(東京)から慶應義塾高(神奈川)へ進んだ。
 中学時代からキックの巧みなスタンドオフとしてプレーし、慶應高では同期の古田京、丹治辰碩らと切磋琢磨した。

 慶應高は2014年、高校3年の県予選決勝で桐蔭学園を下して4年ぶりに花園出場。
 県予選決勝でリザーブだった田中は、花園ではメンバー外となったが、実務能力を見込まれ、花園でチームをサポートする役目を与えられた。

 周囲から頼りにされる人間性、能力は慶大に進んでも変わらなかった。
 しかしだからこそ、田中はプレーヤーとして岐路に立つことになったのかもしれなかった。

 大学2年の秋、その日を迎えた。

 学生寮のミーティングルームに当時2年の同期部員が集まり、投票により男子マネージャーを決める段になった。
 投票には推薦理由が添えられた。

「最後はみんなで記名投票をして、その人を推す理由も書いて、女子マネージャーに提出しました。それで集計をして、僕がみんなからの票をもらいました」

 選ばれたのは自分だった。
 田中は、同期が書いた推薦理由に視線を落とした。

「『お前しかいない』と書いている人もいれば、『お前じゃないと俺たちの主務は務まらない』と書いてくれた人もいました」

 田中にはよく分かっていた。同期は半端な気持ちで自分を選んだわけではない。

「それまでのミーティングはものすごく真剣で、選ばれるであろう人たちのことを考慮した話し合いがなされていました。みんなから伝わってくる真剣さがあったので、『もうやるしかない』と覚悟を決めました」

 結果を受けて、田中は同期の前に立った。

 僕はこのチーム・同期が好きなので、日本一になるために、自分がそういう立場で必要とされるなら頑張ります。
 そう言った。
 
「小さい頃から17年間やってきたラグビーは人生だったので、それを諦めることは辛い出来事でしたが、金沢(篤)ヘッドコーチも『どんな役目であれ、自分の与えられたところで頑張ろう』と言っています。スタッフの立場から日本一を目指そう、と切り替えました」

 田中はその後、約1年間は選手兼マネージャーとして活動し、3年生の夏でプレーヤーを辞めてマネージャーに専念。今シーズンから主務としてリーダー陣に加わっている。

 慶大は昨シーズンの関東大学対抗戦Aで、王者・帝京大に敗れはしたが28−31と肉薄し、明治大に対しては28−26で競り勝つなど、5勝2敗の2位だった。
 大学選手権の準々決勝で大東大に敗れはしたものの、着実な成長を印象づけた。

 迎えた大学ラストシーズンに対して、田中は熱い想いを抱いている。
 選手としてではなく、もちろん主務としてだ。

「“良いチーム”で終わりたくない。“勝ったチーム”と言われたいんです。絶対に日本一を獲る、という気持ちがあります。毎日とにかく一生懸命やって、スタッフも選手も自分のやるべき場所でハードワークする。それが大学日本一につながると考えています」

 そう語る21歳の眼には、ラグビーマンとしての闘志が漲っていた。
(文/多羅正崇)







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