コラム

【森本優子コラム】国を変えたワールドカップ。南アフリカを旅して

プレトリアでニュージーランド代表と対戦した南アフリカ代表(撮影:塩 隆)

■かの国では、国を変える、という気概の下、このスポーツはプレーされていた。それは一体、どれほどの重さのものか。


「南アフリカ、行きませんか?」

 にわかには信じられない連絡があったのは7月末。電話をくれたのは4年前の香港セブンズ取材の際、お世話になった女性だった。その後、転職した会社でたまたま南アフリカのPRに携わっており、来年のW杯開催を機に「もっと南アフリカのことを知ってほしい」と、お誘いをいただいたのだ。不思議な楕円の「縁」だった。

 南アフリカには95年、第3回ワールドカップの際、日本代表の取材で行ったことがある。二度と行くことはない国だったが、最近はもどかしさも感じていた。

 今季のサンウルブズ。南アフリカ出身の選手が一気に増えた。共同主将のヴィリー・ブリッツをはじめ、ピーター・ラピース・ラブスカフニ、ヴィンピー・ファンデルヴァルト、グラント・ハッティング…。自然、彼らに取材する機会も多くなった。生まれた場所、育った環境、南アフリカでの生活…。せっかく話をしてくれるのに「知識」でしか分からない。今回の取材は、そんな隔靴掻痒の思いを一掃してくれる、またとない機会だった。

 ヨハネスブルグに到着(現地での発音はジョーバーグ)、プレトリアで「ザ・ラグビーチャンピオンシップ」最終戦、南アフリカ対ニュージーランドを取材し、翌朝早くケープタウンに向かった。南アフリカ最大の観光地で3日間を過ごすことになっていた。

 ケープタウンの空港に迎えに来てくれたガイドは、キャシーという年配の女性。青空にくっきりと浮かびあがったテーブルマウンテンを眺めながら、話がはずんだ。

「昨日の試合を見られたなんて、すごくラッキーね」

 彼女はラグビー好きだった。ご当地の人気選手はケープタウンに本拠を置くストーマーズ所属のシヤ・コリシ、エベン・エツベスら。「最近は、ヘッドキャップをかぶっていた小さいほうのWTB(チェスリン・コルビ=トゥールーズ)も人気よ。私が好きなのはキッツオフ(3番)だけどね」

 さすが、わかっておられる。

「日本で来年、ラグビーワールドカップをやるんでしょ。凄いことね。私も見に行きたいくらい。日本ではラグビーの人気はどのくらい?」

 なかなか答につまる質問だった。到着初日はテーブルマウンテンの頂上に上り、夜はウォーターフロントを案内してもらった。

 翌日、今度はキャシーの義理の息子であるネイサンが迎えに来てくれ、ケープ半島や喜望峰を回った。

 予定よりずいぶん遅くなってしまったのだが、観光の帰りに回り道をしてストーマーズのホームであるニューランズ競技場に寄ってくれた。当初の予定には入っていない。前日、テーブルマウンテンの頂上から街を眺めた際、キャシーに「ニューランズ競技場はどこ?」と聞いたことを覚えていて、わざわざ行くよう、ことづけてくれていたのだ。

 駅とは隣接していたニューランズだったが、車では行きづらい場所にあった。「ごめん。地図で調べたら、このあたり、ということだったんだけど」。南アフリカではまだカーナビは一般的ではないようだった。

 道に迷いながら、なんとか到着。アポなしだったので内部の撮影は出来なかったが、趣のある競技場だった。ケープ半島を囲む大西洋とインド洋は、よく荒れる海として知られており、だから「ストーマーズ」なのだと教えてくれた。初めて実感として理解できた。

 我々の今回のリクエストは、ケープタウン市内で、テーブルマウンテンとラグビーを象徴する写真を撮りたいということ。キャシーといろいろ相談したらしく、その場所もいろいろと探してくれた(そのショットはラグビーマガジン12月号にて)。

 日本を発つ前の打ち合わせで、南アフリカ観光局の人が言っていた。

「南アフリカの人は、“ここまでやってくれるの”と思うくらいやってくれますよ」

 日本でプレーする南アフリカの選手がしばしば口にするのは「日本人と南アフリカ人は、労働に対する価値観が似ている」ということ。今回出会った人の全てがそうではなかったが、キャシー親子と会い、その言葉を実感した。おそらく日本を気に入る選手が多いのも、共通する基盤があるからだろう。

 ネイサンもラグビーについて知識が豊富だった。

「プレトリアの試合はショックだった。父親はオールブラックスのファンだから、喜んでいたけどね」

 本人は南アフリカ代表の大ファン。前回のW杯で、日本が南アフリカに勝った試合は「いまだにハートブレイクな思い出」だそうだ。

 ネイサンもキャシーもカラードだ。ニューランズ競技場からホテルに戻る途中、ネイサンが言った。

「1995年(第3回W杯)まではラグビーは白人だけが見に行くスポーツだった。今は全ての人が代表チームを応援してる。ネルソン・マンデラが全てを変えたんだ」

 今回の取材は彼の一言に集約されていた。実際、ニュージーランド戦を取材したプレトリアのロフタス・ヴァースフェルド競技場では、様々な肌の色の観客がいた。むしろ、そのことを特別に感じなかった。

 ここで歴史を振り返る。1991年に南アフリカではアパルトヘイトが撤廃、94年には南アフリカ史上初めて全人種による総選挙が行われた。南アフリカでワールドカップが開催されたのは、その翌年のことだった。

「我々にとって最大の挑戦は勝利ではなく、試合を通じて新しい国を作ること」。開会式でネルソン・マンデラ大統領が口にした。スローガンは「ONE TEAM.ONE COUNTRY」。南アフリカは決勝でニュージーランドと対戦、延長戦の末、15−12で優勝した。そのストーリーは映画「インビクタス」でも描かれた。

 23年後、ケープタウンで聞いたネイサンの言葉は、いわばその続編。スポーツが国を変える力を持つことを証明していた。

 ケープタウンに5年前に出来たラグビーミュージアムの壁には南アフリカの監督、選手の至言が記されている。

「我々はラグビーフィールドから、この国を変えられる」

 南アフリカ・ラグビーの父ダニー・クレイブンの言葉だ。

 かの国では、国を変える、という気概の下、このスポーツはプレーされていた。それは一体、どれほどの重さのものか。

 ネイサンは、「監督が替わってスプリングボックスは良くなった。来年のW杯がとても楽しみだ」と言っていた。

 一つの国を変えたスポーツイベントが来年、日本で行われるのだ。この国のラグビーのためだけではない。キャシーやネイサンのような世界中のラグビーファンから「素晴らしい大会だった」と言ってもらえるようにする責任が我々にはあると痛感した。

 最後に。海外で時差に悩まされるのはいつものこと。今回も到着してすぐ、夜中に目が冴えた。そこで突然、忘れていた諺を思い出した。

「一度でもアフリカの水を飲んだ者は、必ずまたアフリカに戻ってくる」

 確かに、二度と行くことはないだろうと思っていたのに。奇しくも今回、同行したカメラマンも95年大会で南アフリカに行っていた。来年に向け「しっかり盛り上げろ」と、ラグビーの神様に気合を入れられた気分だ。(取材協力/南アフリカ観光局)

会場となったロフタス・ヴァースフェルドラグビー場のスタンド。ジャージー着用率の高さが分かる(撮影:塩隆)


ニューランズ競技場。95年の第3回W杯では開会式が行われた(撮影:塩隆)

ラグビーミュージアムの壁に記されたダニー・クレーブンの言葉(撮影:BBM/以下同)

ケープタウン市内の至るところからテーブルマウンテンが見える

喜望峰を眺めながらトレッキングも可能

咲き誇る花の色が鮮やかなのも南アフリカの特徴
RMワールドカップ2019ラグリパcolumn2