コラム

【向風見也コラム】 厚かましい問題

日本代表×イタリア代表戦(撮影:松本かおり)


 厚かましい人は好きですか。「はい」と答える人は皆無だろう。

 かといって、この質問に「はい」と答えられる人はどれくらいいるだろうか。

 厚かましさは不要ですか。

 頑固そうな首脳陣に選手側の要望を柔らかい調子で伝えるリーダー格。他校のスポーツ推薦入試で不合格だった有望な高校生に手を差し伸べる名物指導者。大事な大会の数週間前に初戦の担当レフリーを事前合宿へ招くチーム首脳。

 ラグビー界における成功譚を振り返ると、必ずと言っていいほどかような人物の動きがある。いずれも見方によっては厚かましくも映るが、それ以上に勤勉に映る気がしなくもない。

 厚かましさは悪ではない。大切なことは厚かましい人にならないことではなく、内なる厚かましさを適切に使うことなのだ。

 ここまで面倒くさい話を並べたのには、理由がある。昨今のスポーツ報道やそれへの反応などに触れると、観戦者(および一部取材者)が競技者へ実直さや無邪気さを求めすぎているのではないかという危惧を覚えるからだ。

 例えば指導者の教え子への反則指示が疑われる日大アメフト部のニュースも、一般視聴者の感覚を重んじるとされる大手テレビメディアの伝え方はたいてい「権力を不当に扱う権力者へのバッシング」か「行き過ぎた勝利主義への問題提起」に留まる。いずれも、スポーツが一定以上の清廉性を伴うことを前提とした論法だ。

 本来ならもっと批判されるべき権力者は他にいるような気もするし、真の勝利主義が「指導者と競技者のコミュニケーション不全」とリンクしないことなど火を見るより明らかなのに、例えば本件が「日本の学生アメフト界では、なぜパワハラの横行する集団でも王者になれてしまうのか、もしくはそれを可能とする人材が集まるのか」といった観点で語られるのを聞いたことがない。

 極端に「好意的」なフィルターが視野を狭めている例は、ラグビー界にもなくはない。他競技の取材経験のある報道関係者や数年来のファンの方から、こんな直情的な感想を耳にしたことはないだろうか。

「ラグビー選手はちゃんとしている!」

「いまのままの純粋さを保ってほしい!」

 確かに日本代表をはじめとした選手のファンサービスは実に上質だ。「いい選手はいい人間」という格言もある意味では正鵠を得ていて、サントリーやパナソニックのラグビー部の練習場へ出かければ、強豪国代表の大物が同じポジションの若手選手の居残りセッションに付き合う姿をすぐに見つけられるだろう。

 一方で、実際の勝敗を分けるのは選手の肉体や技術や判断力、およびチーム総体としての準備内容である。いずれも誠実にトレーニングに取り組めるなどの人間性と関係はあっても、優しかったり明るかったりという人柄とは関係が薄い。

 この国ではそのあたりの区分けがあいまいになりがちなようで、例えばほんの少しでも不遜と見られる(実際はそれほど問題視されない)態度をとった選手のオフ・ザ・ボールでのファインプレーは注目されづらい傾向にある。あるいは、冒頭に触れた厚かましいように映る善行は、受け取り手によっては「いい選手はいい人間」の枠からはみ出た「聞いてはならない話」にカテゴライズしてしまう。

 本来であれば、どのようにスポーツを楽しむかなど個人の勝手である。仮に栄光に必要な厚かましさを「なかったこと」にしたいとする人がいたところで、一介の記者が口を挟むことではない。そもそも批評的な視点がライトユーザーを遠ざける傾向があるのも、よくわかる。

 しかし、この国にスポーツ文化が根付きにくい理由を考えると、スポーツに限らず万物の具象を見定めようとする国民があまりに少なすぎるからではという結論に行きついてしまう。

 苛烈なタックルを繰り出した日大アメフト部員が記者会見をした時、アサヒビールシルバースターのヘッドコーチ兼ラジオパーソナリティの有馬隼人さんは「あの時、笛は聞こえていたか」といった旨の問いかけをしていたように思う。相手方の答えは「プレーが止まっているのはわかっていた」だったか。

 当事者たちの人格に一切触れずにグラウンド上の具象を確認することで、「当該選手がフィールド上の状況を把握できる選手だった」という点を見事に明示。悪質なタックルの背景に選手本人の意志が介在していない可能性を浮き彫りにした。

 本来、スポーツに限らずものごとや取り組みを見つめる際は、かような事実と証拠に基づく問いかけおよび述懐は不可避のはずだ。

 2015年のワールドカップイングランド大会時、多くの視聴者にとって南アフリカ代表戦勝利の背景には「ゴールキック」と「試合終了間際のプレー選択」しか存在していないかのようだった。

 2019年にはワールドカップの自国大会が、翌年には東京オリンピックがある。例えば2019年に日本代表が同組のアイルランド代表を倒した時、取材者や観戦者は「感動」とやら以外に何を胸に刻むか。これが列島のスポーツ観戦文化を左右するような気がしないでもない。

 以上、厚かましいご提案でした。こちらとしては大半の選手が誠実であるなか、自分のなかにあるかもしれない「競技者が清く正しくなくてはならない」というフィルターを破壊するところから、謙虚に努めてまいります。


【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(共著/双葉社)。『サンウルブズの挑戦』(双葉社)。
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