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恩師「ガンバ」を囲んでOB交流会。 兵庫・尼崎市立尼崎高校

市立尼崎高のOB交流会で記念写真におさまるメンバー。前列左から2人目が世話人の難波孝吉さん、
その右隣が池永洋元顧問、さらにその右隣が同じく世話人の前宏治さん


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池永洋元顧問(右の背中)の前でハカをする市立尼崎高のOBたち


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この交流会のため、背番号とネームを入れて作った特製Tシャツ



 みんな、まいどー。浪速のおっさんでーす。5月やっちゅーのに夏やな。すでに暑いけど、四半世紀前に「熱い」高校3年間を過ごした先生と生徒らを紹介するで。

 あだ名は「ガンバ先生」。本名は池永洋。教えを受けた難波孝吉さんは説明しまっせえ。
「頑張ってる姿からガンバになりました。先生は小さいけどすごいエネルギッシュ。ぼくらと走ったマラソン大会はたしか2位に入ったはず。当時40才を超えていました」
 身長152センチながら柔道は黒帯。若かりし頃、やんちゃした子を投げ飛ばしたことがあるとか、ないとか…。

 来年古希の先生は、兵庫の高校・市立尼崎(通称:イチアマ)でラグビー部の顧問を26年という長きにわたってつとめはった。
「お世話になった先生にお礼をしよや」
 1994年卒で自転車屋の難波はん、1こ上で会社員の前宏治はんが中心になって、5月27日の日曜日、地元でOB交流会を開いた。

 名古屋、東京、はては鹿児島から21人が武庫川の河川敷に馳せ参じる。先生はそこで、尼崎ラグビースクールの幼児を教えていた。
 まずは、あいさつ代わりの「ハカ」や。
「感激となつかしさで胸がいっぱいです。今日は本当にありがとう」
 ミャンマーあたりの高位のお坊さんって感じの先生は顔をほころばせた。

 難波はんの同期にはラオス代表の松元秀亮はんがおる。大阪市立大のラグビー部でプレーを続け、国際協力機構(JICA)に入った。
「連絡してんけど、『今、東ティモールにおるねん。残念や』ってことでしたわ」
 そら、そやなあ。2002年にインドネシアから独立した国をサポートする方が、「世のため、人のため」的には大事やからね。

 ハカに続いて、スクールの邪魔にならんようにすみっこでタッチフットや。
 世話人の難波はんが、白ラッカーでネームや背番号を入れた「100均」入手のスケスケ黒Tシャツをみんなが着る。

 ネームは「ポコ」、「グレートカネ」=カブキとか鬼塚とちゃうんかい! 、「夜のトライ王」=夜になにすんねん! 、意味不明な温泉マークまである。
「これなんでんの?」
「まったく知らないOBがグラウンドに来て、その時、着ていたジャージーにマジックで〇〇〇マークを書かれました。その名残です」
 〇〇〇は関西3文字、関東4文字。ほんま、そのOB、ろくでもないな。

 ずんぐりした眼鏡の「ケンタ」はんは黒ずくめ。タオルを頭に巻き、スパッツを履いた。すかさず「ラーメン屋かっ!」の突っ込み。
 左胸にはシダのマーク。おっ、オールブラックスか? とよく目をこらせば「ALL GAMBA」と書いてある。パクるほど先生が好きやねんな、みんな。

 タッチフットを「10分で回します」と言えば、「えっ、10分もすんの? 5分でええやん」と不惑どもは弱気の虫。さらに「脚がからまって、こけたやつは罰金100円ね」。すかさず「ほな先に500円払っとくわ」
 5回もからまる予定かい!
 しかし、さすが元ラグビーマンやね。15分ほどしたら感覚が蘇ってくる。隣で練習している小学生よりパスは伸びとった。

 東京から駆けつけた「ふじも」はんは、高校時代を振り返る。
「先生はタッチフットで、ノックオンなんかがあっても、『ノックオン、だけどプレイオン』と続けさせるんです、当時はなんでやろ、と思っていたんですけど、今はわかるんです。続けることの大切さを学んでほしい、ということだったんだと思います」

 先生は神戸外国語大の出身。イチアマに新任の英語教員として赴任するまで、ラグビー経験はなかったんや。
「柔道の顧問はすでに3人いました」
 初心者からスタート。せやけど、今はどっぷり。指導員以外にも、尼崎市協会の会長、関西協会のツアー委員をしてはる。
 部員らには自らの人生を重ねて、継続する大切さや楽しさを説かはったんやね。

 全国は遠かったけど難波はんは満足や。
「3年やって友達ときずなができました。今もこうやってつきあいは続いています」
 黒Tシャツのネームは「NISHIBASHI」。
「西橋さんは、ぼくらが1年生の時のキャプテン。2年前に亡くなりました。そう大きくないNO8やったけど、格好よかった。相撲で言うたら千代の富士みたいな感じでした」
 みんなで黙とうすんのは忘れんかった。

 イチアマの創部は1948年(昭和23)。去年の第97回全国大会の県予選で、創部69年目にして初めて決勝に出たんやで。
「ようやってくれました。感謝感激です。私の時には県民大会(春季大会)のベスト4が最高だったように記憶しています」
 全国8強入りする報徳学園に0−95で歯が立たんかったけれど、最後の2校になれたことを先生はよろこんでいた。

 午後からは武庫川の河口でBBQや。飲めや歌えの大騒ぎ。当時、先生と一緒に顧問をしてはった神田洋はんも参加しはった。
「人を作る時代に一緒に生活をさせてもらいました。私にとって君たちは宝物です」
 言った先生も、言わせた教え子たちも、立派やなーと思うよ。

 ラグビー、しようや。





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