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菊谷崇、故郷の御所で引退試合。

母校・御所実での引退試合に臨んだキヤノン・菊谷崇



 24年間、ラグビーボールを追いかけた。
 最初も、最後も目に映る風景は同じ。
 葛城、金剛の頂。かすかに緑なす山並みを西に、38歳の菊谷崇は現役生活を終えた。

 日本代表キャップ68。
 トップリーグ通算出場156試合。
 歴代4位と5位の記録はセカンド&サードローとして積み上げる。
 その原点は、奈良の御所である。
 2月18日、履歴をスタートさせた御所実(在籍当時は御所工)で、OBが主体になった引退試合が開かれた。

 OB、高校生、ラグビースクール生、保護者、関係者ら約600人が集まる。
「これだけたくさんの人に来てもらえて、うれしかったです」
 菊谷の笑顔は弾ける。
 20分ハーフの勝ち負けにこだわらない花試合で、キックパス、リバースパスなど特徴でもある巧みなプレーを垣間見せた。

 恩師でもある御所実監督の竹田寛行はインゴール裏から見守る。
「これだけの人が集まってくれてね、ウチだけじゃあない、他のチームの選手たちもいる。あいつの人間性でしょうね」
 感に堪えたように言葉を放つ。

 竹田の三、四男の宜純と祐将(ともにトヨタ自動車)や和田源太(ヤマハ発動機)、竹山晃暉(帝京大新4年)らOBが集結する。
 卒業生ではない顔ぶれもそろう。
 最後の4シーズンを送ったキヤノンからは嶋田直人、天野寿紀が参加した。12シーズン在籍したトヨタ自動車からはクラブキャプテンの北川俊澄、川西智治、槇原航太、タウモエピアウ・シリベヌシィ。NTTコミュニケーションズから金正奎らが加わった。

 北川は前日の17日、京都市内で行われた母校・伏見工(新校名は京都工学院)のパーティーに参加。その足で南下する。
「同志みたいなもんです。学年は僕がいっこ下だけど、トップリーグもジャパンデビューも遠征や合宿の部屋も一緒でした」
 初めてのリーグ戦は2004年度の第1節・ワールド戦(51−3)、日本代表は2005年11月のスペイン戦(44−29)だった。
 チームメイトとして過ごした11年。先輩を「キク」と呼ぶ濃密な関係ができ上る。

 菊谷は後輩に尊敬の念を送る。
「トヨタではブレイクダウンは北川がやってくれていました。だから、僕はボールキャリアーでよかった。キヤノンに入って、ブレイクダウンを担当するようになりました」
 自身のプレースタイルの変遷を語りながら、地味で痛いプレーを大切に思う。
 だからこそ呼び捨ての間柄が成立する。

 菊谷は20年前、初めて『ラグビーマガジン』で特集された。1998年7月号。大阪体育大の1年生はすでに一本目だった。
<一番の特徴はその器用さにある。FW選手には珍しく、パスは柔らかく、タイミング、コースともに正確。87キロの体から繰り出すステップにタックラーは面食らう>
 評価は上がり、学生時代に7人制日本代表に選ばれる。

 トヨタ自動車では突破役を任される。
 その高い運動能力に頼らず、チームの要求通りFWらしく愚直に前に出る。
 体重は13キロ増の100キロになる。
 2011年、1分3敗となったワールドカップでは主将をつとめた。当時、チーム広報だった坂田博史は話したことがある。
「JKが全幅の信頼を置いているのはキクちゃんだけ」
 ヘッドコーチのジョン・カーワンが唯一、心を許す存在だった。

 最後の公式戦は1月14日。昔のホームスタジアムだったパロマ瑞穂(愛知)でのNTTコミュニケーションズ戦になった。
 後半18分に出場し、10−38から32−38とする。1トライでの逆転圏内にもって行く。

 「抜く」から出発して、「当たり」は華やかから泥臭いにシフトした。その変化こそが菊谷の真骨頂。偉大さを生んだ源泉である。

 NTTコミュニケーションズ戦は、菊谷の大学の先輩・村上晃一も取材した。著名なラグビージャーナリストは興奮気味だった。
「トヨタから選手たちが応援に来たんよ。でも、みんなSNSなんかで連絡し合った訳やない。勝手に来た。それが30人以上。ひと塊になって応援していた。すごくない? 彼の素晴らしさを物語っているよね」
 思うことは竹田と同じだ。

 引退後はコーチングの道に進む。
 現在、日本体育大の大学院に在籍。修士号の取得を目指している。この3月には、高校日本代表のFWコーチとして2年連続してアイルランド遠征に帯同する。

 そして、5月には日本代表の先輩でもある箕内拓郎、小野澤宏時とともに、3人で東京と静岡で小学生向けのラグビーアカデミーを開講する。元プロ選手のみが児童を一定期間教える初の試みとなる。
「今、授業としてのラグビーは、ほぼありません。いいトレーニングが提供できると思います。軌道に乗れば、プロ選手のセカンドキャリアを助けることにもなります」

 会社設立など実務面に関しては、3輪電動アシスト自転車の製造販売などを手掛ける豊田TRIKEからサポートを受けている。
「ノウハウを含めて色々と教えていただいています。ありがたいことですね」
 営利企業から援助が受けられるのも、菊谷のこれまでの人生や性格と無縁ではない。

 15歳になって御所で触れた楕円球。
 仰ぎ見た金剛山地と同じような連なりを、この先の人生においても続けていく。
(文:鎮 勝也)



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