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息子と父。 河瀬諒介・泰治

河瀬父子。息子の諒介(左)と父の泰治。息子の微笑みと父の少しかしこまった表情が印象的だ


 息子にとって最後の花園が始まる。
 男親にその姿は映える。
 河瀬諒介は東海大仰星のWTB。
 父・泰治は摂南大の総監督であり、キャップ10を持つ日本代表のNO8だった。

 諒介は話す。
「お父さんとは違う高校、大学を選びました。僕はお父さんを気にしないようにしてきました。お父さんも僕が気にしないでいいようにしてくれました。そんなお父さんに感謝しています。そして尊敬しています」

 諒介は早稲田大に合格した。
 泰治は1年生からレギュラーだった大阪工大高(現常翔学園)を経て明治大に進んだ。豪快な突進で「怪物」と呼ばれる。
 高大で親子は「ライバル」になる。
「息子の人生や。俺の人生やない。俺が代わりに歩いてやられへん。そりゃあ、欲を言えば、紺赤も紫紺も着てほしい。でも、諒介の人生なんや。あいつが決めたらええ。行きたいところに行くべきや」

 進路には理由がある。高校は母・磨利子と、大学は友人と見学した。
「仰星では中等部の生徒があいさつをしてくれました。クラブを含めて、学校が一つになっている気がしました。早稲田はコーチングがしっかりしていたし、設備もよかったです。大学でやるなら技術を取り入れながらやりたいなあ、と思いました」
 摂南大は選ばなかった。
「大学は関東に行きたかったのです」
 母の出身は東京の港区。両親は学生時代に出会った。結婚して、母は外国語のような関西弁が飛び交う大阪に下る。

 諒介には2人の姉がいる。夏絵と朱理(あかり)。7つと5つ離れている。
 男子を得た時、泰治は40歳だった。
「諒介ができた時は感動したよ。俺としては、女の子も男の子もどっちも育てたかったからね。ただ、ウチの中では諒介は特別な存在やない。お姉ちゃんらと同じ3分の1の存在や。娘2人も大切やもん」
 性別で差をつけない親心が表れる。

 諒介は東桃谷小の4年から、阿倍野ラグビースクールに通い始める。
 それまでは野球と水泳だった。
「お父さんの知り合いがいて、お母さんに『行ってきたら? 』って言われました」
 記憶に残るのは手ほどきである。
「ラグビーを始めた時はパスがうまくできませんでした。お父さんは対面に立って教えてくれました。『ボールを立てて、しっかり持つ。フォロースローをしっかりする』みたいな感じです。お父さんとはたまにしゃべるくらいですけど、うれしかったですね」

 サッカー、バスケット、卓球もやった。さまざまなスポーツを経験した上で、勝山中ではラグビーに専念する。
「一番楽しかったんです。僕は走るのが好きだったし、ボールを持って、相手に思いっきり当たれるのもよかったです」
 泰治は「内助の功」をたたえる。
「最終的にラグビーに導いてくれたのは、嫁さんの手柄よ。俺が忙しくて面倒を見られへん分、自転車の後ろに乗っけたりして、よう送り迎えをしてくれた」

 諒介は昨年、仰星でレギュラーになり、U17日本代表に選ばれた。今年は高校日本代表候補に挙げられる。スピードは全国屈指だ。
「3年生になって左右両足で同じようにステップを切れるようになってきました」
 仰星の専属トレーナーである竹内紀之はその成長を口にする。

「まさか、ここまでになるとはなあ。息子がラグビーを始めた時、大変な道を歩むことになる、と思った。でも、うれしさはあったね」
 泰治は複雑な胸の内を明かす。
 二世は常に注目を浴び、比較される。それでも、自分の意志で楕円球を選択した。
 重圧をはねのけ、結果を重ねていければ、選んだ道の正しさは証明される。

 諒介のサイズは183センチ、82キロ。
 高校時代の泰治は身長で4センチ、体重で2キロ上回っていた。
 明治大、東芝府中で泰治の5学年後輩になる宗教家・芳村正徳は言ったことがある。
「オヤジっていうのはね、こえるものじゃあないんだよな。近づくものなんだよ」

 芳村は明治時代に教派神道十三派に認められた神習教の管長(教祖の血筋)であり、東京世田谷・桜神宮の宮司をつとめる。
 その父・正忠は日本大監督として1960年、分裂前の関東大学リーグ戦で優勝を飾る。さらに、山口良治の日本体育大への編入学を許した。後年、山口は伏見工監督となり、日本を代表する高校チームを作り上げる。

 諒介は泰治にどこまで近づけるのか。
「お父さんの若いころの映像は、少しだけ見たことがあります」
 真っ先に挙げたのは、1983年10月22日、「伝説のウェールズ戦」だった。泰治を含めた日本代表は、敵地・カーディフに乗り込み、24−29の接戦を演じている。

 最上の紅白や赤黒に袖を通す前に、諒介には18歳の集大成がある。第97回全国高校大会は12月27日、幕を開ける。
 昨年度の大会決勝では終盤の好機にノックオン。東福岡に21−28で敗れた。
「あの悔しさを晴らすのは、決勝の舞台でないといけないんです」
 見据えるのは頂点のみだ。

 40大会前、父は主将として、全国制覇を成し遂げた。第57回大会の決勝は秋田工に20−12。この優勝は、常翔学園におけるV5の出発点になっている。
(文:鎮 勝也)





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