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見えない力を信じて… 伏見工・京都工学院

ハーフタイムで指示を送る伏見工・京都工学院の高崎利明GM(中央のグレーのジャケット)、左は松林拓監督、選手たちは笑っている=第97回全国高校大会京都府予選決勝、京都成章戦で(京都・宝が池球技場)


 記事上の質問はシンプルだった。
「伏見工の伝統は?」
 松林拓は答える。
「目に見えない力を出すこと」
 今から16年前、2001年3月号のラグビーマガジン『巻末インタビュー』である。
 伏見工は佐賀工を21−3で破り、3回目の全国制覇を成し遂げる。
 取材はその直後だった。

 松林は、例として2本目のトライを挙げる。7−3の後半19分、工藤祥司のパントを吉田祥崇がキャッチして決めた。
 SHのキックは利き足ではない左。バスケットボールでリバウンドすら競りに行かないWTBが守備2人に挟まりながら加点する。
「神がかりのようなプレーを大舞台で出せる」

 現在50歳の松林はコーチから監督になった。学校統合により伏見工・京都工学院から伏見工が取れる最後の指揮を執る。
 11月12日、全国高校大会京都予選決勝。春の選抜大会準優勝の京都成章に14−22で敗れる。2年ぶり21回目出場はならなかった。
 両校の前回対戦は5月28日。府春季総体決勝だった。伏見工は0−41と完敗する。
 戦前予想は前回同様の大差負けだったが、41点差を8点差まで詰める。

 伏見工のアタックは、ラックからボールを拾い上げ、サイドを突くピック・アンド・ゴーかワンパスでのコンタクトの2種類のみ。キックや大外展開は使わなかった。
 前後半60分、高校生たちは徹底する。「見えない力」が透ける。
 GMの高崎利明は説明する。
「横幅40メートルの中で勝負するつもりやった。相手にボールを渡さない」
 SO押川敦治ら高校日本代表候補5人を擁する京都成章に、オーソドックスなラグビーは通じない、との判断からだった。

 伏見工は前半15分、先制トライを挙げる。ピック・アンド・ゴー中心の7次攻撃からPR山田洋裕がインゴールに飛び込んだ。
 起点は163センチのFL三浦誠介がこぼれ球へ素早く身を投じたことによる。
「ポロっとボールが出ました。うまく反応できてよかったです」
 チームが小兵をFW選手に使っている正当性を示す。

 前半は7−0。リードで終わる。
 後半はキックオフから一連の動きにミスが出る。2分、被トライ。3連続でいかれた。
 それでも、ロスタイムに入った後半32分、WTB藤井健太郎がトライラインを越える。宝が池球技場の広いインゴールを大きく迂回し、中央にボールをつける。SO藤田大輝はすぐさまドロップで蹴る。角度はなく2点追加。トライとゴールで追いつかない8点差ながら、最後まで試合を捨てなかった。

 伏見工OBの羽田和弘は驚きの連続だった。摂南大コーチの肩書を持つ52歳は話す。
「びっくりしました。普通でやっても勝てんもんやから、思い切った攻め方をしてきた。ある意味奇襲やけど、一発勝負やから、勝てばいい。後半、点を取られるのが早すぎました。もう少しもてば、成章も焦り出したはず。後輩たちがこのGM、監督、コーチについていく。見えない力を信じてやる。そこに伏見のすごさがあるんやないかと思います」

 5年前、同じカードだった府大会決勝で伏見工は16−14で勝利する。この時も下馬評では京都成章が上だった。
 伏見工はハンブルが多い雨中にも関わらずパスを使う。そこに勝機を見出す。後半25分、尾崎晟也(帝京大)が70メートルを独走して逆転トライを決める。
 本大会準々決勝では優勝する常翔学園に26−27と1点差に詰め寄った。半月ほど前の練習試合では5−54と大敗していた。

 コーチの大島淳史は35歳。松林が取材を受けた全国優勝時のFL、そして主将だった。「見えない力」の定義を口にする。
「選手は100%の力を出します。当たり前のことです。でも残りの20%、これは自分では出せない。周りの力を借りないと。それが合わさった時に120%の力になるのです」

 佐賀工との決勝戦は2001年1月7日。花園ラグビー場は凍てついていた。
「決勝は寒かった。みぞれが降っていました。でも同級生は上半身裸でスタンドから応援してくれた。試合中、その姿が目に入る。負けられない、そういう気持ちになりました」
 メンバー外の選手たちは体に「日本一」とペインティングして声をからす。伏見工を全国屈指の名門にした総監督の山口良治と監督だった高崎は、正装のブレザー姿にも関わらず傘をささず、ずぶぬれで戦況を見守った。
 今も伏見工が試合前にスタンドから、上半身裸でハカを送る原点はここにある。

 今年の応援をリードしたのはCTB居川真比呂だ。敗北に目を赤くはらした。
「僕の応援が通じなくて…。力不足でした」
 西ノ京中時代はサッカー部だった。
「同期の経験者はみんな、初心者の僕を見下したりせず、パスの仕方から丁寧に教えてくれました。僕たちは一致団結して、一生懸命やってこれたと思います。メンバーは出られないやつの短パンをはいていました」
 大島はメンバー外の部員に言及する。
「ウチはレギュラーになれなかった子たち、特に3年間やってくれた上級生を大事にしています。今回も3年生は全員、試合前日に宿舎に泊めました。朝は一緒に来ました」
 3年生30人を含む92人の部員にラグビーのうまさだけで接し方を決めない。

 74歳になる山口はマスクをして、杖をつきながらスタンドに現れた。脳梗塞の後遺症が残る中、「目に見えない力」の始まりを話す。
「0−112で負けて、悔しい、情けない、悲しい、いろいろなことを感じた。その思いがスタートなんじゃあないかな」
 着任した1975年の春季大会で花園に大敗した。創部は1960年だが、この100点ゲームから伏見工が本格化する。57年の歴史が伝統となり、チームを助ける。

 東海大仰星の監督・湯浅大智はテレビを見て感銘を受けた。10月20日、BS朝日で放映された『スポーツクロス』で、高崎が他競技の高校指導者2人と討論をしていた。
「高崎先生は『手はつないでいても切れますよね。でも見えない力は切れません』と言っていた。そういうところを抑えておられる高崎先生はすごいなあ、と思いました」
 東海大仰星は伏見工と同じ4回の全国優勝経験がある。2校は年2回、定期戦を組む。

 湯浅は、日本ラグビー界における伝説的指導者・大西鐵之祐と高崎を重ねる。
「高崎先生のすごいのは99まで理論を積み上げる。でもあと1、最後は気合や、根性や、となる。大西先生と一緒なんですよね」
 山口は大西の薫陶を受けた。接戦が語り草となっている1971年のイングランド戦(19−27、3−6)では2試合ともに出場している。その教えは山口を通して高崎にも下りる。
 湯浅は1995年に没した大西と面識はない。しかし、恩師である土井崇司(東海大相模総監督)が東海大の学生時代、大西の自宅でラグビー理論を授かった。当時の東海大監督は早稲田大OBの和泉武雄。湯浅もまた土井からそのコーチングを間接的に受ける。

 高崎は言う。
「ウチの試合では、予想せんこと、理解できんことが起きる。でも奇跡ではないんよね。そのための準備はちゃんとしてるんよ。奇跡は軌跡なんやな」
 三浦は3年間を総括する。
「練習はめちゃくちゃしんどかったです。でも頑張って乗り越えてきました」
 伏見工から帝京大に進んだ寺田桂太は今年4月、近鉄に入った。196センチの長身LOは話したことがある。
「大学時代にはなかったけれど、高校時代には練習中に死ぬ一歩手前という経験をしたことがあります」

 今年の展開とキック封印も、5年前の雨中でのパスアタックもすべては彼我の戦力の冷静な分析からだった。そこに猛練習やチーム愛が加わり、「見えない力」が生まれる。

 試合後の円陣で高崎は話しかけた。
「1、2年生は伏見のこれまでを背負って、その上に新しい歴史を創れるようにしよう。3年生はお疲れさまでした」
 伏見工時代の入学生がすべて卒業し、新年度から「京都工学院」となる。
 しかし、その歩みが途切れることはない。
(文:鎮 勝也)
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