女子

リオから1年。この夏は笑顔で。サクラフィフティーン、加藤慶子は集大成示す。

三菱重工エンジン&ターボチャージャ株式会社勤務。
2009年のワールドカップセブンズ(ドバイ)にも出場している。(撮影/松本かおり)


 1年前は心で泣いた。リオデジャネイロの青空の下、最後までピッチに立つことができなかったのは自分だけだった。
 7月30日、女子ワールドカップに向かうサクラフィフティーン(女子日本代表)のメンバー、28名が発表された。若手が多く選ばれたBKの中で最年長だったのが8月7日、ダブリンで誕生日を迎えると29歳になる加藤慶子(世田谷レディース)だ。最年少の17歳、SH津久井萌とはちょうどひとまわり違う。

 昨夏はブラジルにいた。竹内(現・中嶋)亜弥とともに、五輪に出場したサクラセブンズ(女子セブンズ日本代表)のバックアップメンバーだった。加藤は竹内とふたりで、スタンドから応援するしかなかった。しかし、竹内は怪我人と交代で急遽メンバー入りする。結局、ひとりだけピッチに立つことができなかった。
 頭では仕方ないと分かっていても落ち込んだ。
 当時のことを、「いろいろ考えました。信頼を得られなかったのはどうしてだ、とか」と振り返ったこともある。ラグビーをやめようと思った。いつまで経っても心の整理はつかなかった。

 そんな精神状態から抜け出してふたたび走り始められたのは、オリンピックを夢見る前の自分の原点を思い出したからだ。
 2013年の前回ワールドカップ予選には怪我で出場できなかったが、2009年のアジア予選に出場している。カザフスタンに完敗した。21歳の時だ。
「その年、ちょうどセブンズがオリンピックの種目に採用されるということが決まったんです。そんなときに負けて、15人制の灯を消しちゃうんじゃないか…って責任を感じました」
 あの頃、自分の胸にあった目標は「ワールドカップ2勝」だった。それまでに開催された5大会のうち3大会に出場し、2勝を挙げていた女子日本代表(第2回大会でスウェーデンに10-5、第4回大会でオランダに37-3で勝った)。先輩たちが手にしたそれに追いつきたかった。その、自分が追い求めていたものを思い出した。
「それをまだ達成していなかったな、と。だから、あらためて目指そうと思ったんです」

 昨秋のアジア・オセアニア予選。加藤は背番号12を背負ってピッチに立った。フィジーと香港を破ってワールドカップ出場を決めた。「若い人たちがノビノビとプレーできたなら良かった」とベテランらしくチームを支えた。
 実は、そのときもプレーを終えようと考えた。次の世代につながる責任は果たしたと思ったからだ。しばらくゆっくりした後、違う角度からラグビーに貢献したいな、と。
 お世話になった代表OGの乾あゆみさんや辻本つかささんに相談した。
「そうしたら、やめるのに勇気が必要ならまだやるべきだと言われました」
 アドバイスを受けてまたまた再スタート。ワールドカップメンバーまでの途中、五輪前と同様に北海道・定山渓にておこなわれた合宿に参加したときは、リオで落選したときのことを思い出し精神的にきつかったこともあったが、今回は競争を勝ち抜いてメンバー入り。「7歳から(堺ラグビースクールで)始めたラグビーの集大成です!」とアイルランドへ向かった。

 ユース時代も含めた代表以外にも、堺ラグビースクール、寝屋川レディース、常翔学園、法大FRB、リッチモンドクラブ(英)、世田谷レディースと長くラグビーを続けてきたから、いろんな思いが詰まっている。
「2005年に女子ユース強化選手としてニュージーランドに遠征にいったときにマナワツ州ユースと選抜チームに大敗したときには、いつかワールドカップでニュージーランドに勝つことを目標にしました。今回、世界と戦えるチャンスを与えてもらって本当に感謝しています」
 多くの人に感謝する。やっと恩返しができる。
 実は、それがいちばん嬉しいのかもしれない。




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