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岡先生の教え。

多くの名選手を育てた。2007年5月11日に永眠。(写真/BBM)



 岡仁詩先生に激しく言われた。
「わしの真意がわからないなら、これからは話をしても仕方がない」
 電話から怒気が伝わる。
 同志社ラグビーに、半世紀以上の人生を捧げられた先生は、クシャッとなる褐色の笑顔が印象的だった。

 2005年のことである。
 13年前、同志社は強かった。
 関西リーグを7戦全勝で制し、第42回大学選手権に進む。
 地元・花園で、初戦は流通経済に54−37、次戦は帝京を50−7で下し、準決勝に進んだ。3年連続の正月超えである。

 当時、スポーツ新聞社に勤めていた私は、帝京に大勝した記事を書いた。会社は最終面を使うことを決める。文中には以前、先生から伺ったコメントが載った。
「同志社は負ける気がしない」
 原稿につくカラー写真も迫力があった。紺グレがボールを持って突進していた。

 翌朝、携帯が鳴る。先生からだった。
「何を書いたんや? わしは『同志社は負ける気がしない』とは言っていない」
 私は反射的に言葉返しをしてしまった。
「いや、先生はおっしゃいました」
「違う。『関西では』をつけたはずだ」

 先生の言う通りだった。
「関西では同志社は負ける気がしない」
 以前、そう聞いた。
 ところが、私自身が圧勝に酔い、21年ぶりに選手権を制してほしいという、さもしい大阪の記者根性もあって、つい「関西では」という部分を省いてしまった。

 先生は続けた。
「今年の同志社が関東学院や早稲田に勝てると思っているのか?」
 その目に狂いはなかった。
 年が明けた2006年1月2日、同志社は東京・国立で関東学院に15−31とダブルスコアで敗れる。その関東学院は決勝で早稲田に5−41と大敗。アカクロの先発にはPR畠山健介、FL豊田将万、FB五郎丸歩ら日本代表として活躍する選手が7人もいた。

 後日聞いた話によると、新聞を読んだOBやファンから早朝にもかかわらず、先生にひっきりなしに電話がかかってきたそうである。
「先生が言われているから間違いない。同志社は久しぶりに優勝ですな。楽しみや」
 災難の元凶は私だった。
 結果を見れば、先生はスポーツ紙を通して、満天下にウソを言い放ったことになる。

 先生はラグビー好きの人間を、経験の有無や出身大学に関係なく可愛がった。
 OBではない私もたびたび京田辺にある自宅にお邪魔した。一戸建ては北欧の建材と工法で建てられたらしく、木の柱がピカピカ輝いていた。この2005年、私はメジャーリーグ担当でアメリカに長くいた。その時は久美子夫人とともに励ましのメールも下さった。

 先生は日本で3番目の伝統を誇る1911年(明治44)創部の同志社を飛躍させた。
 平尾誠二、後年「ミスター・ラグビー」と呼ばれる若者を中心に大学選手権3連覇(1982年度の第19回大会から)を果たす。この記録は帝京が9連覇するまで最長だった。

 監督などの指導期を通して、「形がないのが同志社」とFWやBKにこだわらない自由なラグビーを志向した。当時の関東の2強が「タテの明治」、「ヨコの早稲田」とスタイルを鮮明にしていたのとは対照的だった。
 日本代表の監督も経験する。

 その長年かかって築き上げた先生の信頼や信用を私は貶(おとし)めてしまった。
 電話があったその日すぐ、京田辺まで車を走らせた。謝罪をする。
「もう忘れたわ」
 先生は笑った。しかし、その高みに至った名声に傷をつけた罪悪感は残った。

 同時に、私は記者として、生涯忘れえぬことを先生から教わる。
「大切なのは言葉ではなく真意」
 重要視すべきは「言った、言わない」ではない。コメントの「切り取り」でもない。

 言葉じりをとらえず、建前ではなく本音を探る。10のうち9がイエスだったとしても、残りの1のノーに真実があるかもしれない。
 そのためには、取材対象への食い込みも含め、「見る」、「聞く」、「調べる」。私は大局に立って、同志社と関東学院、そして早稲田の対比ができていなかった。

 先生が世を終えられたのは2年後だった。2007年5月11日。享年77だった。
 まもなく11年が経つ。

 今でも、取材対象の複雑な胸の内をすくい取って文字にできていないかもしれない。勝者を持ち上げるために、敗者やチームにことさら嫌な思いをさせたこともあったろう。
 ただ、先生には教わった「真意」を胸に、取材現場には出るようにしている。

 岡先生、ありがとうございました。

(文:鎮 勝也)





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