コラム

【田村一博コラム】北海道大学ラグビー部主将、伊藤智将の熱。

175センチ、83キロ。SOでリーダー。(撮影/松本かおり)

OB

スタンドで部歌を歌う関東のOBたち。(撮影/松本かおり)



 ハーフタイムだった。
 スタンドにいた10人ほどのOBたちが立ち上がり、部歌をうたった。
 4月15日の秩父宮ラグビー場では東日本大学セブンズがおこなわれていた。北海道大学と日本体育大学が戦っていた。

 聞こえていました。
 試合後、北大のキャプテン、伊藤智将(いとう・ともまさ)はそう言った。神奈川県立横須賀高校から一浪して入学して4年生になった。工学部機械知能工学科に学んでいる。
「大きな試合や大切な行事のときにうたわれるものです」
 自身も何度もうたってきた。
 声を合わせて大声を出すと仲間との一体感を感じる。部の歴史、先輩たちの思いを背負っていることをあらためて思う。

 この日、北大は初戦で早大に0-43と敗れ、続くコンソレーション(敗者戦)の日体大戦に7-40。2敗で戦いを終えた。
 伊藤主将は「相手のスピードやスペース感覚など、いい経験になった」と2試合を振り返った。すべてを全国大学選手権出場という目標の実現に結びつけたいと言った。
 全国の舞台に立つ。
 主将の大学生活は、その思いでいっぱいだ。1年時は全国大学選手権の東北・北海道代表決定戦で八戸学院大学に27-28。その試合を境に変わった。

 自動車が好きだ。国立大学で勉強し、将来はエンジニアになりたい。そう思い、北の大地で学ぶことにした。
「最初はあまり、ラグビーを続ける気はなかったんです。でも勧誘を受けて練習に行ってみたら、久しぶりに感覚を思い出し、楽しいなって。そして、代表決定戦で1点差で負けました。そこから本気になった気がします」
 高校時代も主将を務めていた。最後の大会は花園予選でベスト16どまりだった。
 大学に入学し、全国がそう遠くないところにあることに気づいた。惜敗に体がカーッと熱くなった。

 大学2年時、3年時は、東北・北海道代表決定戦で東北学院大に5-40、24-54と負けた。チャンスはあと1回しかない。主将は、いつもラグビーのことを考えていると言った。
 練習で先頭に立つのは当然、全体練習以外の時間にもウエートトレーニングに励み、時間があればJスポーツの映像を見て打倒・東北学院大のイメージを膨らます。頭の中は四六時中ラグビーと言っていい。
 札幌駅前のホテルの、朝食会場でアルバイトをしている。ビュッフェ式の料理の補充をしたり、目玉焼きやホットケーキを焼く。その合間も楕円球のことが頭をよぎることがあるだろう。
「(日体大戦で奪った)1トライはチームの自信になりました。」
 決戦は11月。まだ高められる時間はある。

 夢の実現は、自分ひとりだけの力では足りない。だから、チームの仲間にも本気で毎日を過ごそうと呼びかける。
 ただ簡単ではない。自分がそうだったように、北大にラグビーが目的で進学してきた者はいないからだ。
 このクラブで初めて楕円球を追うようになった友もいる。一人ひとりがそれぞれの価値観を持って生きているのだから、全員にラグビーファーストの生活を求めたくとも強いることはできない。
 だから伊藤主将は考える。
「できるだけ多くの人が試合に出られるようにして(当事者意識を強められるようにして)います。部内のいろんな仕事を分担し、一人ひとりが責任を持ったり、自分の存在価値を感じられるようにも」
 練習の前にその日のポイントを簡潔に話してからグラウンドに出るスタイルは、高校時代の恩師、松山吾朗先生に学んだ。

 その松山先生は、よくおぼえている。
「誰からも愛され尊敬される男です。2年生の時は関東大会ブロック優勝したチームのスタンドオフでした。3年時はキャプテンでしたが、横須賀史上最強の代のあとで、新人戦から負けてシード落ち。その後も勝てずに引退。苦しい1年間でした。だけど私の指導歴の中で唯一、(同期14人)一人も退部しなかった代。トモマサの人格のおかげでした」
 東日本大学セブンズの日、北大の選手たちは大会の最後まで、主将を中心にして選手席でピッチを見つめていた。夕方から関東OB会があったのも理由のひとつだが、誰の目も真剣だった。
 肩寄せ合い、ギュッとまとまって見ていた。
 その姿はチームだった。


【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。



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