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顧問、寮監、そして理事長として 兵庫・神戸弘陵高校 松原鉄司

神戸弘陵高校のラグビー部顧問、寮監、さらには兵庫県ラグビー協会理事長と3足のわらじを履く松原鉄司先生。左は寮母としてサポートする妻・初子さん


 丸刈り、こげ茶色に日焼けした肌、ひげ、固太りの体…。いかつい。
 松原鉄司は義理と人情に厚い関係者にも見える。血気盛んだったはるか昔には、スカウトの手が伸びた、という噂もある。
 今、その表情は柔らかい。

 兼業は3つ。
 神戸弘陵高校のラグビー部顧問、寮監、そして兵庫県ラグビー協会の理事長である。
 還暦を迎え、保健・体育教員としての授業はなくなった。仕事はひとつ減る。

 ラグビーでは「監督」と呼ばせない。
「偉そうで肌に合いません。『顧問』って呼んでもらっています。育てるんやなくて、僕自身が育ててもらっている、大会なんかは連れて行ってやった、じゃなくて連れて行ってもらった、と言うべきやと思います」

 神戸弘陵は大阪湾を見下ろす六甲山系の北側、俗に「裏六甲」と呼ばれる地域にある。緑豊かな森林が有馬街道とぶつかり、尽きるあたりに校舎は立つ。街道を北に目指せば、日本最古と言われる有馬温泉に至る。
 スポーツは盛ん。男子サッカー部は冬の選手権に9回出た。昨年はJリーグのU18チームなどと戦う最上のプレミアリーグに加わる。硬式野球部の男子は甲子園に春夏5回出場。主なOBは中日投手の山井大介だ。女子は4月3日、全国選抜大会で初優勝を飾る。

 ラグビー部創部は学校創立と同じ1983年(昭和58)。翌年、松原は赴任。顧問になる。
 現在の部員は22人(3年=10、2年=12)。経験者は0。サッカーや野球と違って学校指定の強化クラブではないため推薦枠がない。強化には限界があるが、松原は明るい。
「顧問というのは、そこにいる子どもたちが求めているものを与えるもんや、と思っています。最終的には、子どもたちが楽しんでくれたらええんやないかなあ、と」
 勝ち負けではなく、楕円球とのふれあいに心を砕く。

 松原は神戸村野工でラグビーを始めた。ポジションはSO。日本体育大では岩出雅之と同期となる。帝京大を大学選手権9連覇に導いた名将を横目に見ながら自分の道を歩む。
 クラブはこの4月で36年目を迎えた。全国大会出場はないが、チームは存続している。この春の県民大会も15人制を戦える。

 神戸弘陵は開校10年目あたりで、経営陣と教員が経営方針などを巡って対立。理事長が何人も変わる事態となり、約15年間、学校が混乱した。廃校の風説も飛んだ。
 その間、松原は辞表を出さなかった。
「別の仕事をしようと思ったこともあります。給料もすごく下がりましたしね。でも、お世話になった学校を見捨てられなかった。卒業生の顔も浮かんできてねえ。もし学校がなくなったら、あいつらはOBとして、どこに顔を出せばいいんや、と思いました」
 教員たちは組合を作り、粘り強く交渉を重ねる。長い年月はかかったが、次第に校内は落ち着きを取り戻す。

 2014年、それまでの男子校から共学になり、女子の野球やサッカーが人気を集める。同時に男子寮が学校敷地内に復活。松原はその寮監を任される。5年目の今年はサッカー部と野球部を中心に37人が入寮した。

 松原は寮に泊まり込む。朝の起床は4時30分。仕事は、朝夕2食の準備、施設の営繕、ケガ人や病人の看護、思春期の相談など多岐にわたる。美容師と介護福祉士でもある妻・初子は新たに栄養士の資格も取り、寮母してサポートしてくれている。
「入寮した時におぼこい(可愛い)顔をして、大丈夫かいな、という子らが3年で大人の顔になって巣立って行く。それを見るとよかったなあって思います」
 部活動がある夕方だけは、妻に現場を任せグラウンドに出て行く。休日は月曜の午後から火曜の午後までの約1日のみだ。

 咋年5月から、県ラグビー協会理事長になった。現場レベルの責任者になる。
 上部機関である関西協会の理事長に転出した松原忠利の後を受けた。同性のため、役員からは「てつじ先生」と呼ばれている。
 県庁所在地の神戸市は来年のワールドカップ開催12都市のひとつ。イングランド×アメリカなど4試合が予定されている。松原は行政などが主体となった「ワールドカップ推進委員会」に所属し、その運営に携わる。

「神戸でやる4試合ともにスタジアムをお客さんで満杯にしたいですね。とは言うものの市の調査では認知度がまだ60パーセントいっていない、という結果が出ました。地道にちらしをまいたり、イベントがあるごとに告知活動をしていかないといけません」

 松原は、世界を相手にする華やかな仕事だけではなく、忍耐力が要求され、地味な高校生相手のつとめも黙々とこなす。
「兼務は正直しんどいですよ。代わっていただけるなら、代わっていただきたい。でも、人のために働くのが苦にならない性分なんです。だから、忙しくさせてもらっていることに感謝しています」
 自己犠牲の精神が軸にあるラグビーや帰依する天理教によって松原は磨かれた。生を終えたあとは医学の発展のため、検体として扱われることを承知している。
 定年は、神戸弘陵では65歳、県協会においては特に定めはない。松原は、世のため、人のため、これからも日々を送る。
(文:鎮 勝也)
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