コラム

【向風見也 コラム】狼たちの原点

サンウルブズ2戦目のレベルズ戦は、秩父宮で3月3日13:15キックオフ(撮影:松本かおり)

■逆風を突っ切るというサンウルブズの基本姿勢は、黎明期以来のもの

 サンウルブズが、国際リーグのスーパーラグビー参戦3季目のシーズンを迎えた。

 今季は拠点の日本など8か国から選手を集め、多文化共生の趣を強めている。海外出身者の推進力は戦力的に大きな助け舟となっていて、2月24日、ホームの秩父宮では優勝経験のあるブランビーズに一時19―8とリード。最後は細部の詰めなどに泣き25−32と惜敗も、7点差での敗北のため勝ち点1を獲得する。

 今季は5位以内を目指しているとあって、皆、一様に手応えを掴んだ感覚と負けた悔しさをないまぜにして語っていた。もっとも前年までの2シーズンでは通算3勝。初戦で強豪の首をとりかけたこんにちに至るまでは、激動の黎明期があったことも忘れてはならない。

 ファンからの公募などをもとにサンウルブズという名前が「サン(太陽)」「ウルフ(狼)」をモチーフにした名前が決まったのは2015年のことだった。

 日本ラグビー協会はその前年の2014年にスーパーラグビーへの参加枠を獲得し、やがて一般社団法人ジャパンエスアールにスーパーラグビーの関連事業を業務委託。2016年からの参戦に向け、ゼロからの準備を施していた。

 当時は日本代表ヘッドコーチだったエディー・ジョーンズも、ディレクター・オブ・ラグビーに就任していて、ワールドカップイングランド大会に向けた事前キャンプの合間にサンウルブズ関連のミーティングをいくつもこなしていた。

 サンウルブズの、それがスタートラインだ。

 近年は固定客を確保しつつあるサンウルブズだが、当時は存続そのものが危ぶまれていた。

 運営団体のジャパンエスアールは、合宿地の宮崎へ渡って選手へチーム概要を説明。多くの日本人にオファーを出していた。ところが、さまざまな事象が重なって契約が一筋縄にいかなかったのだ。

 運営団体のSANZAR(当時名称)からは、8月末までに25選手と契約できなかった場合の参戦取り消しをほのめかされる。宮崎合宿の参加中に契約を決めた1人は、練習の過酷さ、およびそれを指揮していたジョーンズへのアレルギー反応がことを複雑にしたと認める。
 
 ジャパンエスアールが開いた説明会で渡された資料の中身を、こう思い出す。

「その時出されたスーパーラグビーでの1週間のスケジュール予定に『HEAD START(ジョーンズが日本代表でおこなっていた早朝練習の名称)』と。その時は皆、合宿で苦しんでいた時期だったので、『こんなの、この先何年もやっていくの?』みたいな空気になりました」

 何とか存続が決まってチームが始動してからも、受難は続いた。最たるものは、4月におこなった初の南アフリカ遠征時のトラブルだろう。

 ツアー最終戦となった第8節に向けて高地のブルームフォンティンへ入ったあたりで、選手やコーチが相次ぎ腹痛を訴えた。初代キャプテンの堀江翔太が現地で摂った硬水との相性が悪く腹を壊すなど、選手やスタッフが宿泊先での食生活に難儀した。

 ツアー中のホテルで出る食事は、運営側が他のいくつかのチームのオペレーションを参考に準備していたとされる。しかしその条件が、日本生まれ日本育ちの選手に苦痛をもたらしたようだ。問題がなかったのはタフさで知られるチーム最年長の大野均やスーパーラグビーを経験した海外出身の選手ら数名だった。

 現地時間16日のチーターズ戦は、17−92で大敗した。立川理道は言う。

「最初のツアーでの食事は、食べられるものがないという選手もいたし、ちゃんとしたものを出してくれよという気分になった(日本)代表経験者もいた。それがスーパーラグビーだと知っている選手は苦労しなかったですし、僕もそんなにストレスは感じなかったです。でも、改善できるところはたくさんあった。運営側もホテルにリクエストしたものを食べるのが当たり前だと思っていたと思うんですけど、いま(当時)の日本人にはそれが厳しいとわかったんです」

 辛苦の遠征から帰国したサンウルブズは、立川の提案で屋形船でのチームディナーを開く。国内に残ったメンバーとの結束力を高め、チーム初勝利への道を作る。4月23日、東京は秩父宮ラグビー場でジャガーズを制したその日、堀江は勝つまで剃らないと言っていた髭をロッカールームでそり落とした。ファンの感涙を誘った。

 結局、2016年度は、1勝1引き分け13敗で戦い終える。観客席でおなじみとなった狼の鳴きまねをする応援方法は、このシーズンを通して徐々に定着。逆風を突っ切るというサンウルブズの基本姿勢が形作られたのはこの初年度、およびその助走期間にあたる2015年だったとも言えよう。

 消滅危機もコンディション不良もあってよかったとは決して言えまいが、底を見た集団ならではの図太さがこの時期に作られた側面はある。

 ブランビーズ戦のあった2018年2月24日という日も、かような歴史の堆積の上に成り立っているのは間違いない。

 その意味では、その試合の日に問題となったとされることのひとつが「ラグビーを題材にした暴力シーンのあるドラマを場内で流すか、流さないかに関する外部団体とのトラブル」だったことには言葉を失う。

 3年前のいまごろは本当に発足するのかさえ未知数だったサンウルブズは、産声を上げてからもトライアンドエラーの連続だった。良し悪しはさておき、当時はかなりオン・ザ・フィールドの根幹をなす領域について議論が必要だったものだ。
 当たり前だが、これらのことは指揮官が大泣きしたところで解決する問題ではなかった。

 当時を思い返したうえで、かつ現段階では双方の言い分を聞いていない状態で「ドラマ」の問題について言えることはひとつ。いまは随分と平和になったのだな、という感想もしくは冗談だけだ。


【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)。
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