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仰星で始まり、仰星で終わる。MBS・赤木誠アナウンサー

今年10月で定年退職するMBS(毎日放送)の赤木誠アナウンサー。
最初と最後の高校ラグビー決勝戦の実況は東海大仰星の優勝だった。


 高校ラグビー決勝戦の実況は、濃紺×水色×白のジャージーで始まり、終わった。
 MBS(毎日放送)アナウンサーの赤木誠は、1月8日、東海大仰星×大阪桐蔭のテレビ放映を担当した。

 今年10月24日に60歳の誕生日を迎え、1週間後の31日に定年となる。最後となる97回大会は、27−20で東海大仰星の2大会ぶり5回目の優勝を伝えた。
「湯浅先生がぽとり、ぽとりと大粒の涙を流しましてね、実に感動的でした」

 赤木の最初の決勝戦実況は18年前の79回大会。ラジオでの東海大仰星×埼工大深谷(現 正智深谷)だった。31−7。初優勝時の主将は今回、監督をつとめた湯浅大智である。
 赤木は不思議な縁を思う。
「綾部先生や大阪桐蔭には申し訳ないけど、流れ、運命があるのかなあ、と。神さまが与えて下さったような終わり方になりました」

 湯浅は言う。
「赤木さんの声は聞いたらすぐにわかります。それくらいすごい方の歴史に僕たち仰星がいさせてもらえて、とても幸せです」
 湯浅の成長と赤木の実況は節目が重なる。「運命」と表現しても大げさではない。

 張りのある、歯切れのいい声。赤木は在阪放送局の中で、代表的なスポーツアナである。4歳下、ライバル会社のABC(朝日放送)アナウンサー・伊藤史隆は評する。
「年を重ねられても、若々しい声を持っていらっしゃる。普通、年齢とともに声は低くなって、話す速度も遅くなってきます。でも赤木さんはトーン、スピードともに変わられない。ご本人の努力か天賦(てんぷ)の才かはわからないけれど、すごいことですね」
 赤木は2006年度、優秀なアナウンサーに与えられるアノンシスト賞をスポーツ実況部門で受賞している。

 視聴者を納得させる取材力も魅力だ。
 昨年12月2日の抽選会の後、私的な壮行会(飲み会)に出席する。
 顔ぶれは、御所実・竹田寛行、中部大春日丘・宮地真、石見智翠館・安藤哲治、大阪桐蔭・綾部正史らの出場校監督、さらに大会総務委員長として現場を取り仕切る天野寛之(摂津監督)らだった。
 メディア側の出席者は赤木ただ1人。食い込み具合の深さがわかる。

 竹田は話す。
「もう知り合って30年になるけど、ラグビーで赤木さんの右に出るアナウンサーはおらんでしょう。それぐらいよう知ってはるし、人のつながりもありますよね」
 御所実×天理になる奈良県決勝は、地元の奈良テレビで常に赤木が実況する。
「もう担当させてもらって30年くらいになりますかね。『貸しアナ』って感じです」
 目を細めて笑う。

 赤木は自衛官だった父・清治に従い、北海道、神奈川、長崎、鹿児島などで暮らした。
「その分、僕は標準語がしゃべられました。アナウンサーになるにはラッキーでした」
 九州大ではサークル『ライオンズ研究会』に所属する。当時、福岡を本拠地にしていた西鉄ライオンズ(現 西武)を追いかけた。
「野球が好きで、それに携われる仕事がしたいなあ、と考えていたら、たまたま家庭教師先のお父さんが地方局のアナウンサーでした。こんな仕事もあるんだ、と応募しました」

 1981年にアナウンサーとしてMBSに入社する。同社は1960年から高校ラグビー全国大会を中継していた。赤木は入社3年目、63回大会決勝(1983年度)の天理×大分舞鶴をグラウンドからリポートをする。
「舞鶴のキャプテンの福浦君(孝二)のゴールキックが最後外れてね。天理が勝ちました」
 18−16。純白ジャージーにとっての頂点は12大会ぶり5回目だった。
「ラグビーの実況は難しいんです。よーいどんで一斉に動くから。みんなを見ないといけない。野球みたいに打球だけを追っていたらいいものではありません。間もないですしね」

 ラグビー経験はないため、強豪校に足しげく通った。監督と試合や練習を一緒に見たりして勉強した。荒川博司(大阪工大高)、田中克己(天理)、川村幸治(布施工)、河瀬泰治(摂南大)、竹田らを師と仰ぐ。
「荒川先生が『今年はFW第3列がいいんだよ』と言えば、そこをよく見て、話すようにしました。僕は社外でも社内でも本当にみなさんによくしてもらいました」

 最後の高校ラグビー決勝には、ゲストとして立川理道(クボタ)が放送席に加わった。オンエア後、「お疲れさまでした」の言葉とともに、昨年11月のフランス戦で着た日本代表のジャージーが贈られた。
「ハル君は天理の時から知っていましたが、びっくりしました。涙が出ましたよ。ラグビーはこういうことが多いですよね」

 40年近く取材現場に身を置いた上で、『楕円球世界』のよさを語る。
「アバウトな部分が多いですね。キックしてどこでタッチを切ったか、とか、ペナルティーをして10メートル下がっているか、なんていうのは判断しにくい。そんなことをインクルード(含む)しながら勝利に向かって進んで行く。不条理なんですよね。そこがいい。だからこそ、その前段に竹田先生が言う人間教育が必要なんでしょうね」

 定年後は再雇用の形で会社に残る。
「シニアスタッフとして、ニュースなどでどこかでお耳にかかるかもしれません。3年後に100回を迎える高校大会にも、なんらかの形でそこにかかわっていければいいですね」
 MBSには感謝がある。
「最後まで、ラグビーとか野球とか、好きなことをさせてもらえました。こんな幸せな人生でいいのかな、と思っています」
 湯浅を含めて、プロフェッショナルの実況をしてもらった多くの人々は、赤木以上に幸せだったに違いない。
(文:鎮 勝也)
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