コラム

【野村周平 コラム】 聖地の行方

当初からラグビー専用競技場。昭和22年(1947)、「東京ラグビー場」として開場。女子学習院跡地だった(写真は2018年1月。撮影:松本かおり)

■難しいのは、新秩父宮の持続可能性を担保することだと思う。

 面のまま、不自然にめくり上がる緑の芝。駆け寄ったスタッフが懸命に元の場所にはめ込み、地面をならしていく。

 大学日本一を決める帝京と明治の熱戦のさなか、グラウンド補修に走る関係者の様子をテレビの片隅に見ながら、つぎはぎだらけになった聖地・秩父宮ラグビー場の行方に思いをはせた。

 戦後間もない1947年に開場。専用ラグビー場を失った関東協会が、女子学習院の焼け跡で米軍の駐車場となっていた青山の地を見つけ出し、大学ラグビー部OBらの寄付などで建設費用を捻出した。現在の地権者である日本スポーツ振興センター(JSC)は秩父宮の歴史を伝えるホームページの一コーナーで、当時の香山蕃理事長が毎日新聞に語った言葉を紹介している。

「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶でありました。あるものは時計やカメラ、またあるものは家のじゅうたんを売ってひたぶるに自分たちの心のふるさとをきずきあげようという情熱に燃えた」

「工事が始まったある日、雨のふるなか秩父宮様がこられご病身をかえり見ずゴム長ぐつを履かれて励まし下され、鹿島(建設)の関係者に『ラグビー協会は貧乏だからよろしくたのむ』と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」

 ラグビーを愛した秩父宮殿下の逝去を悼み、1953年、当初の東京ラグビー場から秩父宮ラグビー場へと改称。以来、改修工事を重ねて現在に至っている。

 開場から70年が過ぎ、老朽化に伴うほころびは顕著だ。冒頭の芝は長年の懸案のまま、場当たり的な対応にとどまっている。耐震化未対応の建築構造という根本的課題を抱え、女子トイレの少なさなども指摘される。「青山」「駅近」という好立地ながら、ラグビーファン以外のリピーターを生み出せる態勢は十分とは言えない。

 2015年4月、東京都はJSCや宗教法人明治神宮など一帯の地権者である6社・団体と、神宮外苑地区のまちづくりに関する基本覚書を締結した。新国立競技場を中心とするスポーツ集積地をつくる計画で、その中には神宮球場と秩父宮を交換して建て替える構想も示された。僕は当時、たとえ一時の不便はあっても、秩父宮が現代に見合った姿に生まれ変わる好機だ、と前向きに捉えた。

 あの覚書締結からこの4月で3年になる。新国立周辺はホテル建設など再開発工事が着々と進むが、秩父宮や神宮を含む地区に関する公の動きはいまだない。

 都やJSC、日本協会など複数の関係者によると、当初の秩父宮解体→新神宮建設→旧神宮解体→新秩父宮建設という順序から、神宮第2球場の跡地に新秩父宮を建てることでラグビーが使えない時期を極力なくす、という計画に変わったという。

 ただ、約200億円といわれる新秩父宮の建設費は確保できていない。民間地権者が秩父宮の未利用容積を買うことで高層ビルを建設する、「空中権」の売却で資金の大半を占めるとされてきたが、「空中権だけでは建設費を賄えない」と関係者は話す。調整役の不在が地権者間の基本合意を遅らせているという見方もある。

 政府は、20年東京大会以降の新国立競技場の後利用方法を「球技場」にすることを決めた。新国立と新秩父宮が並ぶことで、「ラグビーだけ、二つのスタジアムを使用できるのはおかしい」と指摘する声も出てきている。

 こうした課題以上に難しいのは、新秩父宮の持続可能性を担保することだと思う。2年前の東京五輪の会場見直し問題でも議論されたが、巨額の費用で競技場を建てた後、いかにして毎年発生するランニングコストを賄い、市民に愛される器にするかは、事前によく議論されなければならない。秩父宮を新しくするのなら、地権者のJSCだけでなく、「店子」の日本協会も開場後の利用方法や収支計画を考え、明らかにする必要がある。建設費の集まり具合にも左右されるが、その計画があって、競技場の収容人数や仕様が決まってくるべきなのだろう。

 スーパーラグビーで戦うサンウルブズの運営会社は昨年11月、秩父宮のエンターテインメント性を高める「青山ラグビーパーク」化構想を発表した。建て替え計画が進まない中、アイデア段階とはいえ、新たなスタジアム像を提示し、一般に「見える化」した意義は大きいと思う。土台さえあれば、ファンは秩父宮やラグビーの将来像を具体的なイメージを持って語り合うことができる。

 戦後まもないころ、「心のふるさとを築こう」と必死で浄財を集めた先人の思いは引き継ぐべきだ。ただ、秩父宮は多くのラグビー人の聖地であるとともに、地域に根ざしたものでなければならない。それは神宮にとっても同様だろう。多様な意見を受け止める仕組み作りも不可欠だ。

 都がイニシアチブを握る再開発に関する基本合意や都市計画決定も先送りされている。建て替えがどのような形で進むのか、秩父宮はどうなるのか、何の説明もないまま時は過ぎ、ラグビーに関係する人の多くはやきもきしている。2019年以降のビジョンを描けない、中ぶらりんの状態はいつまで続くのだろうか。


【筆者プロフィール】
野村周平(のむら・しゅうへい)
1980年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞入社。大阪スポーツ部、岡山総局、大阪スポーツ部、東京スポーツ部を経て、2016年より東京社会部。ラグビーワールドカップ2011年大会、2015年大会、そして2016年リオ・オリンピックなどを取材。自身は中1時にラグビーを始め大学までプレー。ポジションはFL。

2018年・大学選手権決勝(撮影:松本かおり)

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