コラム

【向風見也 コラム】 絶壁なので

(撮影:長尾亜紀、松本かおり、高野洋)


■一定の規律を保つ集団が栄華を築くことは、もはや真理に近そうだ。ただ…


 同い年の宇多田ヒカルが10代にして一流音楽家と称された20世紀末、都立狛江高校のラグビー部員だった筆者は、卒業式の予行演習というやつが嫌いだった。

 式本番の数日前にある予行演習では大方の段取り、座り位置などを数時間もかけて確認するのだが、さらに面倒なのは、終わりがけに生活指導の教員から「当日は髪の色を元に戻し、制服をきちんと着るように」と通告されることだった。確かにこの高校では当時、染髪や制服の着こなしのルールを守らぬ生徒が大半を占めていた。外部の来賓を招く卒業式でそれがばれると、大人たちは困るのだろう。

 例のラグビー部員は、予行演習を滑稽で非効率だと心で嘲笑しながらも、1、2年時こそ律義に参加。しかし自らの卒業年度は、適当な理由をつけて欠席した。出かけた先は、表参道の美容院だった。中途半端に伸びた短髪を当時流行っていた襟足の長いベリーショートにし、わざわざ怒られるような明るめのマットアッシュに染めた。似合っているかどうかは問題でなかった。

 式の当日、担任の体育教師に「予行演習に来ないで、こんな頭をして!」と後頭部をはたかれた。「絶壁がばれないようにセットしたんだから、潰さないでもらえますか」と返した。

 トレンドの変化も影響しているのだろう。2006年にラグビー記者となってからというもの、髪を染めた学生選手には滅多にお目にかからない。高校、大学を問わず、主要取材先となる全国的強豪のラグビー部には、部員の見た目に関する厳しい定めがあるようだ。そんなルールは、部員不足だった当時の狛江高校にはなかった。

 見逃せないのは、学生たちの外見に統一感があることとそのチームの強さが、決して無関係ではなさそうなことだ。例えば大学選手権8連覇中の帝京大ではある時期から、白いYシャツの下から色付きのTシャツが透ける選手が皆無になった。

 グラウンド内よりグラウンド外にいる時間の方が物理的に長いことなどから、スポーツ界では私生活の規律遵守が競技力アップに繋がるという考え方が根付いている。競技者が身体をぶつけながら攻防システムと基本技術の精度を保とうとするラグビーの世界でも、それは然りである。

 ディシプリンとパフォーマンスのリンクは、プロ選手などもいて頭髪に自由度の増すトップリーグの現場でもうかがい知れる。あるシーズンが終わった日、「どのチームも大物外国人を揃えているのに、なぜ順位に差が出るのか」という質問に、当時の優勝チームの関係者がこう答えていた。

「違いは規律じゃないですか。例えば××(下位に低迷したチーム)に入った△△(強豪国のビッグネーム)は好き放題やっていたと聞きますが、うちに彼らが来たらそんなことはさせない。若手の手本になってもらう」

 一定の規律を保つ集団が栄華を築くことは、もはや真理に近そうだ。ただ、筆者がそうした趣旨を自らの手で記事化する際は、心に引っかかりを残しているのも確かだ。

 主将として臨んだ狛江高校ラグビー部の最後の大会には、ミディアムヘアに強いパーマをかけて臨んでいた。自らのタックルミスなどから10点リードを逆転された10人制秋季大会3回戦が、そのまま引退試合になった。

 果たして、当時の自分に似た立場のラグビーマンに、いくら事実でも「規律こそが勝利の鍵」という趣旨の原稿を無配慮に届けてよいものか。そもそも「絶壁が…」と反発した時からさして価値観を変えていない筆者が「ディシプリンは重要だ」と書いたところで、どこまで説得力があるのか。ほんの少し自問自答して、あくまで事実や談話を集積し、やや言葉を選び、どうにか納期に間に合わせている。学生時代に黒髪と短髪で通した選手が、プロ契約をするや奇抜なヘアに挑戦する傾向には、ちょっとだけ「よし、いいぞ」と思ってしまう。

 2017年、日本ラグビー協会の理事会で、ナショナルチームの主力選手のヘアが議論の対象になったことがあった。将来的には服装や髪型についてのガイドラインを作られそうだ、と報じられたのだ。

 もう議論は宙に浮いてくれたようなので一安心だが、これは規律遵守と強化の順序をはき違えた見解だ。

 誰からも誠実に映ることが選手の集中力や好感度などを支えることはあろうが、あくまでそれは結果論に過ぎず、実力者のすべてが独特の髪型をしていないというわけでは決してない。そもそも、公共性の高い国代表選手の頭髪を規定するルールなど、策定したところで国際的にどう説明するというのだろうか。

 さらに驚いたのは、この暴論に同意されるファンの方も少なくなかったことだ。「青少年に悪影響を及ぼす」からとのことだ。

 筆者は幼少期、青いヘルメットをかぶってホームランを飛ばす某人気野球選手のファンだった。時を重ねるごとに、どうやら当該選手が聖人君子ではないのでは、と、感づくのだが、その程度の理由では好みを変えなかった。まさかいまの「青少年」は、グラウンド外の印象とグラウンド内の働きぶりを混同してしまうのか。もしそうなら、それはいまの日本の教育が先入観の愚かさを伝えきれていない証拠で、それはそれで大きな問題である。

 この国のラグビー界がこれから謳うべき美徳は、たぶん、多様な個性を認めたうえで最後に統制が問われるといった、相反する要素をひとまとめにする懐の深さではないか。

 目下進行中の少子化の流れがこのまま止まらなかったとする。そうなれば各競技団体は、どんどん絶対数が減ってゆくこの国の子どもたちのなかから、少しでも体格や運動神経に優れた人材を集めねばならなくなる。

 特にラグビー界では、ポジションによっては文句なしの身長などが求められる。それゆえ人材確保は、本当に切実な問題だ。現状では国内トップリーグでの海外出身者の出場枠を増やして代表候補の拡張を目指す。だからといって、列島生まれの少年少女にラグビーをして欲しくないわけではなかろう。

 そこで、例えば「黒髪でない子どもにラグビーの指導はできない」「ルールなので生まれつき金髪の選手にも黒く染めさせる」というメッセージが放たれては、もはやマイナスでしかない。「一部厳しいチームもあるようだけど、本当のところは好きな頭でプレーできる」くらいの立ち位置の方が、他競技の指導者に「ならず者」扱いされた健康優良児への訴求力は高まるだろう。

 かように考えると、ジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ率いる日本代表が自由なヘアスタイルを認めている点は全面的に支持できる。もっとも勝負どころのタックルをし損ねた元パーマ頭のラグビー部員としては、この集団の醸す解放感と厳格さのバランスを注視していきたいのだが。


【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)。
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