コラム

受け容れる。ラオス代表外国人選手、松元さんからの手紙。  田村一博(ラグビーマガジン編集長)

最後列左から2人目が松元秀亮さん(ラオス、ヴィエンチャンのクラブ在籍時)


 ブライトンの歓喜−−。ジャパンが世界に発信した「南アフリカ撃破」のビッグニュースは、いまだ熱を保ったままだ。
 1995年に南アフリカで開催された第3回ワールドカップの準決勝以降を観戦するために現地を訪れた。イミグレーションの担当者に渡航目的を問われ、「ワールドカップ観戦」と答えると、「日本はもう帰ったぞ。NZに何点取られたか知ってるか? ワン・フォー・ファイブだ」と笑われた。
 オールブラックスに17-145で敗れてから20年。いま、ワールドカップの現場を歩けば「ジャパンは凄いな!」と多くの人に声をかけられる。サモア戦、アメリカ戦に勝ってトップ8に進出すれば、日本ラグビーに本物の夜明けがやって来るか。

 WTBカーン・ヘスケスがインゴール左隅に飛び込んで仕上げた南アフリカ戦勝利。ニュージーランド出身の好漢へパスを放ったのがトンガの純情、アマナキ・レレィ・マフィで、ヘスケスにまっ先に抱きついたのはサモアの血を引くマレ・サウだった。歴史的勝利のラストシーンを振り返れば外国人選手の名前が並ぶけれど、あの瞬間、何人の外国出身選手がピッチに立っていたかを気にした人はいただろうか。ジャパンというチームの成し遂げたことが大きくて、それまで胸にもやもやがあったとしても、それらはちっぽけなことだった…と思った人たちは大勢いた。

 勝利の数日後、信頼するひとりの「外国人選手」に連絡を取った。松元秀亮さん(まつもと・ひであき/大阪市立大学ラグビー部OB/39歳)は、ラオス代表として長く活躍する日本人だ。2006年5月、国際協力機構(JICA)のラオス駐在員になった後、現地での生活が3年過ぎると同国代表に選ばれた。以後、何度も何度もラオスのために戦っている。
 実は'09年の秋に現地での駐在は終わっている。帰国しても代表合宿やテストマッチに招聘されては自費で駆けつけ、仲間と走った。今年の1月からは東ティモール事務所に赴任しているのに、それでもラオス代表から声がかかる。「現地にはラグビーのチームがなく、タッチラグビー程度しかできないからコンタクトプレーの強度やフィットネスの維持が難しい」とは言うけれど、年内に予定されるラオス代表の試合に合わせて身体と仕事の調整を進めている。駐在員が少なくて思うように休暇はとれないが、自分を必要としてくれているチームのもとへ何とか駆けつけたい。

 その国の出生者。3年居住。両親か祖父母のうち誰かひとりでも当該国で出生していればいい。ラグビーの外の世界の人たちから見れば低く見えるラグビーの世界の外国出身選手の代表資格について、ラオス代表外国人選手からの返信には、こう書いてあった。
「ラグビーには『相手を受け容れる』という精神があるから、このような制度が導入されて成立しているのだと思います。一緒にラグビーをやってきた仲間を、国としても仲間として受け容れる。試合後のノーサイドとも感覚的にはつながるものがあると思います」
 綴られた文字を見て目が覚めた。頭で考えていては見えぬ当該選手たちのスピリットが届いた。ラグビーの大きな魅力である寛容さを忘れちゃいけないぞ、と。レフリーに判断を任せ、それを受け容れる。ルールが変化していくなんて、他競技の人たちが聞いたらどう思うか。
 受け容れる。それこそラグビーだ。

 数年前に聞いた松元さんの話を、ジャパンの外国出身選手たちを見るたびに思い出す。
 ラオス駐在直後から、松元さんは現地のクラブチームに入り、大好きなラグビーライフを続けた。最初から何もかもうまくいったわけではない。ラグビーには真面目に取り組みたい日本人と、ラグビーも緩い空気の中でやりたい現地のプレーヤーたち。そんなギャップを、松元さんは慌てることなく埋めていった。
 たった一人で、現地コミュニティーに飛び込んだ。言葉は通じなくとも飲み会に必ず参加。そして、同じピッチに立ったらいつだって全力を続けた。やがてチームメートのひとり、SHのトーも必死で走り始めた。熱が周囲に伝わっていく。松元さんは、他よりラグビーを深く理解し、うまい外国人選手だから代表に呼ばれ続けているのではなく、熱源であり、欠かせぬ仲間だからいまも関係が続いている。

 いまジャパンにいる選手たちも同じだろう。異国の地・日本にやって来て、積極的に自分から話し、最初は馴染めなくても、何度でもアプローチしたはずだ。
「みなさん、覚悟を決めたんだと思います。私と違って、もっと上のレベルを目指すことだってできるのに、そういうものを捨てて取り組んだ。チームのことが好きでないと出来ませんよ」
 以前、松元さんはそう言って続けた。
「日本代表なんだから、日本の人たちがたくさんプレーしてほしいという思いはあります。でも、選ばれた彼らには、お礼を言いたい。日本のことを好きになってくれてありがとう」

 今回届いたメールは、「日本の試合(南アフリカ戦)、試合を通してのディフェンスと、点を取られても離されない試合展開、そして最後の選択と結果、本当に感動しました。今、こうやって書いているだけでも、目頭が熱くなります」と始まり、外国出身選手への気持ちについて、「以前と変わりません。そして、ラグビーのこの制度自体を僕はとても素晴らしいものだと思っています」と続いていた。
「外国人選手がいなければ、代表になれたかもしれない人たちは悔しいでしょう。でも、悔しさと外国人選手の両方を受け容れて(その後も頑張って)いると思っています。そして、代表になれなかった日本人選手の存在を理解する外国人選手たちは、日本人選手以上にいろんなものを背負ってプレーをしているのではないでしょうか」
 仲間と肩を組む。国歌が流れる。感極まって大声で叫ぶ仲間の歌声。隣の選手の指先に力が入るのを何度も感じた経験があるから分かるのだ。
 それは、松元秀亮がラオス代表選手以外の何者でもなくなる瞬間だった。


【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

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