Pacific Islander パシフィックアイランダー リレートーク

vol.8 南波流マヌエリ(秋田ノーザンブレッツ)

【トーマス優デーリックデニイ(トヨタ自動車)→ 南波流マヌエリ(秋田ノーザンブレッツ)】

「デーリックは親友です。マリストブラザーズで2年ぐらい一緒だったし、U19、U21フィジー代表でも同じチーム。私が白鷗大に入学した時、彼は4年生でした」

「父(パウロ・ナワル)と一緒に日本(日野自動車)に来たので、小学校は日野の小学校に通っていました。ずっとサッカーをしていて、ラグビーはルールが難しすぎた(笑)。将来はJリーグの選手になりたいと思っていたほどサッカーに熱中していました。あとはクラブでバスケットをしていた時もありました。小学校時代を日本で過ごしたので、食事も和食が一番好きです。天ぷら、唐揚げ、鍋料理が好物。それは今でも変わりません。父はすごいラグビー選手だったと聞いていましたが、ほとんど見たことがない。後に、やはりすごかったんだと分かるようになりましたが」

「中学校からフィジーに戻りました。父からは、“フィジーにはラグビーしかないよ”と言われていましたが、私にラグビーをやらせたいというのは分かっていました。あと、フィジーでは誰もサッカーをしていない(笑)。しばらくはサッカーがしたくて、日本に戻りたいという思いが強かったのですが、父からは“ラグビーが上手くなれば日本に戻れるよ”と言われていた。だから、父にはラグビーのパスなどの基本スキルを必死で教わったのを覚えています。日本に戻りたい一心で」

「フィジーの環境、ラグビーにも慣れ、中学3年生の時にU18フィジー代表に選ばれました。高校2年でU19代表、さらに高校3年時にはU21フィジー代表としてフランスでおこなわれたU21世界選手権に出場しました。この時、チームメイトにデーリックもいた。マリストブラザーズ高に入学後、チームの人たちからゴールキックを蹴ってみろと言われ、それが入った。そこからずっとゴールキッカーです。これは本当に日本でのサッカーの経験が活きましたね」

「高校卒業後、父が監督をしている白鷗大に入学。実は他大学からのオファーもありましたが、父や他のフィジーからの留学生たちと違う大学に行けないなと思い、決めました。ただ、芝ではないガチガチの土のグラウンドなど環境には戸惑いましたが、強化のために呼ばれた選手なのでプレーで貢献しないといけないと常に思っていました。主にFBかCTBで1年時からゴールキッカー。つらかったのは3年の時に3部(関東大学リーグ戦)に落ちたこと。4年の時も3部で終わりました」

「大学卒業後、秋田ノーザンブレッツに来ました。あまりにも寒くて、これは大丈夫かなと思いましたが、秋田の人たちが温かい方ばかりで、すぐに好きになりました。チームも優しい人たちばかりで、コミュニケーションが取れる。これは大切なことです。ここでは、9時から18時まで働いて、19時から練習の日々です。昨年、初めて下のリーグとの入替戦を経験して、これではだめだと痛感させられた。もっと頑張り、来季は上位に入りたい。仕事をしながらラグビーを続けているのを言い訳にせず、これからも挑戦したいですね」

「私が紹介するのは、トゥキリ ロテ ダウラアコです。北海道バーバリアンズ所属で、7人制日本代表のメンバーでもあります。高校、大学の後輩で、非常に頑張り屋です。彼の一族にはワラビーズだったトゥキリなど、ラグビーの有名選手が非常に多い。身長も高くて、素晴らしい選手ですよ」

(文:福田 達)

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【Player Profile】
南波流マヌエリ MANUELI NAWALU
秋田ノーザンブレッツ所属(FB/SO)
身長180センチ、体重95キロ。1986年5月14日、フィジー生まれ。
マリストブラザーズ高→白鷗大→秋田ノーザンブレッツ。U18・19・21フィジー代表

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フィジー時代、大学、社会人とキックを任されてきた(撮影:松本かおり)

(トップ写真=2014年度トップイーストリーグの日野自動車戦より/撮影:松本かおり)
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