Pacific Islander パシフィックアイランダー リレートーク

vol.6 フォラウ愛世(NEC)

【カトニ・オツコロ(クボタ)→ フォラウ愛世(NEC)】

「カトニはトゥポウ高校の寮で同じだったし、ラグビー以外でもよく遊んでいました。彼はよく冗談を言うけど、それを周囲が分かっていない時の方が多い。今でもそうかも(笑)」

「トンガのワイオラで生まれました。ビーチはいつ見ても飽きないほどきれいなところで、トンガに戻ればいつも癒されます。幼い頃は砂浜で遊ぶのが楽しみで、よくラグビーやバレーボールをしていました。トンガでは小学校入学が日本のように6歳からではなく、5歳から入学してもいい。私もそうでした。だからトゥポウ高校2年になった時、日本(埼工大深谷高校/現 正智深谷高校)に来ましたが、年齢は日本人と同じでした。トゥポウカレッジは全寮制の中高一貫校で、中学の時から海外に行きたいと思っていました。だから、オファーが来た時は、迷いなく“行きます”。両親は反対していましたが、このチャンスは逃せないと。もちろん、授業は大変でした。言葉がまったく分からない。数字から始めて、ひらがな…、ずっと勉強していましたよ。学校から寮に帰っても、やることがないのでコリー(ホラニ龍コリニアシ/現 パナソニック)と一緒に勉強ばかり。食事もまったく違う。ご飯、味噌汁が初めてで、半年は嫌でした。ご飯に牛乳かけて、砂糖をまぶしたりもした。でも、1年後にはすべて慣れて、今は納豆も大丈夫。美味しくなるものです」

「花園に出てみて、大阪のチームのタックルには驚きました。1人目の低いタックルは大丈夫だったけど、2人目の上へのタックルがびっくりするほど早かった。ロータックルだけならボールをつなぐこともできるけど、それをさせてくれなかった。でも、大阪のチームと対戦するのは本当に楽しかったですよ。花園は2年の時に決勝で東海大仰星に負けました(7-31)。3年になれば公式戦負けなしで、これは優勝できると思っていたけど、準決勝で伏見工に負けた(12-26)。あの時も相手のタックルがすごかった。経験したことのないようなプレッシャーだったのを覚えています」

「埼工大入学時はまだ関東大学リーグ戦3部。そこから2部、最終的に1部にはいけなかったけど、卒業もできたし、楽しい大学生活でした。最後の年はクリスチャン(・ロアマヌ)が1年生にいて、留学生が8人いました。同時に2人しか出場できないので、監督も大変だったと思います。一度、早稲田から留学生全員を出して試合をしようという申し込みがあって、それには勝ちました。皆で試合に出るのは初めてで、勝敗よりも気持ちよかった」

「第1回U21のワールドカップに出場できたのは大学時代のいい思い出です。最後にフィジーとイタリアに勝って成績は9位。まだ段柄の桜のジャージーで、それに誇りを持ってプレーしました。初めて日本の同年代のトップ選手が集まるチームでプレーできたのは素晴らしい経験でした。大会は南アフリカで行われ、治安のこともあって練習、試合以外は外出禁止。ずっとホテルにいたので皆と仲良くなりました。同部屋の中居君(智昭/現 東芝FWコーチ)もそうだし、あと霜村(誠一/現 パナソニック)、吉君(吉田大樹/現 東芝)とかがいました」

「豊田自動織機でプレーしたのは3年。4年目のシーズン前で辞めて、そこから日本協会所属として7人制日本代表スコッドでプレーすることに。セブンズは体力的にきついイメージがありますが、グラウンドが広いので楽しい。その時は適応できたと思います。いろんな遠征に行かせてもらいましたし、東アジア大会で優勝して金メダルも獲得できた」

「豊田自動織機時代に、大学から付き合っていた彼女と結婚して帰化することに。日本でやっていく上で、帰化した方が生活しやすいのも事実です。愛世(マナセ)は自分で選びました。愛という字は好きでしたが、まさか『マナ』と読むとは思わなかった。漢字3文字よりも2文字が希望で、携帯でマナセを変換していたら、『マナ=愛』と出た。びっくりしましたよ。これいいの? これに世の中の『世』をつけました。でも、“あいよ”と言われることが結構あります(笑)」

「もう一度トップリーグでやりたかったのですが、チームが決まらず、たまたま後輩がいたクラブチームのタマリバクラブでプレーすることに。まずは日本選手権に出場して、トップリーグの各チームに見てもらわないといけない。このチームでの経験も自分には大きいものでした。トップリーグは会社にサポートしてもらい、恵まれた環境でプレーしていますが、タマリバは自分たちですべて運営するので、ラグビーをプレーできることへの感謝の気持ちが生まれます。本当にラグビーが好きな人たちが集まっていました」

「タマリバ代表の富野(永和)さんがヤマハの清宮(克幸)監督の後輩で、紹介してくれました。すぐに会えることになって、その場でOKをもらいました。ヤマハでの3年間は非常に有意義でした。コーチングも素晴らしく、教わったことが今でも生きています。NECは今年度から。楽しくプレーでき、シーズン当初は調子がよかったですが、後半は体調を崩した時もあった。力を出しきれなかったという思いはあります。ニリ・ラトゥのリーダーシップは素晴らしく、試合になると必ずスイッチが入る。勉強になります」

「私が次に紹介するのはトヨタ自動車のデーリック・トーマス(トーマス優デーリックデニイ)。彼は白鷗大学出身で、同じリーグ戦3部として対戦したこともあります。その時からの知り合いで、ヤマハでも一緒の時期があった。非常に優しい人で、磐田ではよく遊びました」
(取材:福田 達)

PT


【Player Profile】
フォラウ愛世 MANASE FORAU
NECグリーンロケッツ所属(FL)
身長188センチ、体重110キロ。1981年5月6日、トンガ生まれ。
埼工大深谷→埼工大→豊田自動織機→タマリバクラブ→ヤマハ発動機→NEC。7人制日本代表、U21日本代表

U21

U21日本代表として2002年の第1回U21世界選手権に出場したときのフォラウ
(最前列中央/撮影:BBM)

(トップ写真=NECでのフォラウ愛世。2015年1月4日のリコー戦より/撮影:松本かおり)
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